博多から筑肥線に乗って、約1時間10分。
虹ノ松原の松林が途切れると、遠くに白亜の天守閣が望めます。
小高い丘の上にあるので非常に目立つ・・・唐津城です。
自分は西唐津まで電車で行って歩いて向かいました。
県道を東へ進むとまずあらわれるのが西の門跡。海に向かって一直線に伸びる石垣がのこっています。
虹ノ松原の松林が途切れると、遠くに白亜の天守閣が望めます。
小高い丘の上にあるので非常に目立つ・・・唐津城です。
自分は西唐津まで電車で行って歩いて向かいました。
県道を東へ進むとまずあらわれるのが西の門跡。海に向かって一直線に伸びる石垣がのこっています。
さらに進むと二の門跡。水堀が現存しますが、自分が行ったときは水が殆どなくてぬかるみ状態でした。緩くカーブする道がかつての枡形の存在を教えてくれます。上のほうに目を移すと天守がそびえています。
道は石垣に沿って続いています。石垣の上には学校があります。元々は御殿があった由。
やがて山の麓に着くと、本丸への登り口。一本道の石段が続きます。
因みに、本丸まで直接登れるエレベータもあるそうです。なんと人に優しい(!)。
石段を登った本丸の下段への入り口には巨大な藤棚があり、抜けると天守を拝めます。
やがて山の麓に着くと、本丸への登り口。一本道の石段が続きます。
因みに、本丸まで直接登れるエレベータもあるそうです。なんと人に優しい(!)。
石段を登った本丸の下段への入り口には巨大な藤棚があり、抜けると天守を拝めます。
唐津城には天守台はあるものの、天守は建てられなかったそうです。そのためこの天守は完全な模擬建築。
最上階の造作は会津若松城に似ている気がします。高欄が赤いからでしょうか。
破風の構成は名護屋城をモチーフにしているのかと思い、手持ちの本で絵図を確認しましたが、どうも違うようです。
最上階の造作は会津若松城に似ている気がします。高欄が赤いからでしょうか。
破風の構成は名護屋城をモチーフにしているのかと思い、手持ちの本で絵図を確認しましたが、どうも違うようです。
天守は鉄筋コンクリート造り。中に入ると城郭建築っぽくありません。
消防法等々の縛りがあるとはいえ、そもそも城郭建築を鉄筋コンクリートで造るという点からイメージが違うんですが・・・
というのも、木と鉄筋コンクリートでは材料の特性、強度が違うので、いくら似せて作ったとしても、どうしても違和感が出てきてしまいます。
それは、木造の掛川城復興天守が風景になじんでいるのに比べて、鉄筋コンクリートの岡山城天守や広島城天守、名古屋城天守がいまいちなじみきれていないことを見ればよく分かる・・・というか、そう思っているのは自分だけですかね??
ま、別に鉄筋コンクリートが悪いというわけではありません。
消防法等々の縛りがあるとはいえ、そもそも城郭建築を鉄筋コンクリートで造るという点からイメージが違うんですが・・・
というのも、木と鉄筋コンクリートでは材料の特性、強度が違うので、いくら似せて作ったとしても、どうしても違和感が出てきてしまいます。
それは、木造の掛川城復興天守が風景になじんでいるのに比べて、鉄筋コンクリートの岡山城天守や広島城天守、名古屋城天守がいまいちなじみきれていないことを見ればよく分かる・・・というか、そう思っているのは自分だけですかね??
ま、別に鉄筋コンクリートが悪いというわけではありません。
現在唐津城は石垣修復工事を大々的に実施中。
良く見ると、天守台の石垣も盛り上がってしまっています。なんか危なっかしいです。
城内も一部立ち入り禁止になっていてうろちょろ出来ないので早々に退却しました。
良く見ると、天守台の石垣も盛り上がってしまっています。なんか危なっかしいです。
城内も一部立ち入り禁止になっていてうろちょろ出来ないので早々に退却しました。
帰りは素直に唐津駅へ。途中には三の丸辰巳櫓が復元されているので寄り道しました。
山の上の天守は何処に行っても追いかけてきます。
地元の人は城を見たときに郷愁を感じるそうですが、やっぱり城のある風景はいいものです。
山の上の天守は何処に行っても追いかけてきます。
地元の人は城を見たときに郷愁を感じるそうですが、やっぱり城のある風景はいいものです。
自分は普通の新興住宅地に住んでいるので、城のある風景がうらやましくて仕方ありません。