カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

せんじゅおおはし【駅名しりとり358】

千住大橋 (京成電鉄

 

 

 

千住大橋が架橋されたのは徳川家康が江戸に入った直後の1594年のこと。関東地方の土木工事で必ずと言ってよいほどの名前がでる伊奈忠次の手による墨田川最初の橋でした。

その後何度かの架け替えを経て、現在の橋は1927年に関東大震災の復興事業によりかられたものです。

墨田川の舟運が盛んだった当時、帝都東京の水の玄関口として格式を持たせるべく、河口に近い永代橋とともに、優美なアーチ橋が採用されました。

1973年に下流側に新橋が建設され、さらに上流側に千住水管橋があるため、現在その美しいアーチを見ることは難しくなっています。

 

 

 

↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。

にほんブログ村 鉄道ブログ 日本全国の鉄道へ
にほんブログ村

 

 

 

 

訪城記 ~小坂城~ 【2024.3.16】

江戸崎駅から関東鉄道が運行する稲敷エリア広域バスに乗車。小坂団地で下車しました。

 

小坂団地は1969年頃に造成された大規模な住宅地。約1200の区画に2000世帯が住んでいるとのこと。

ただ休日の昼間のせいか人の姿に乏しく、閉店した商店や空き区画が目立つように感じます。

 

 

小坂城は、そんなニュータウンの東のはずれにあります。

 

小坂城は稲敷台地の南の縁、小野川がつくる段丘崖を利用して築かれた平山城です。

東に小坂の町を臨み、北側を通る鎌倉街道を押さえています。

小坂団地の造成と国道408号線の建設により周辺環境は大きく変化しましたが、遺構がよく残り、現在は公園として整備されています。

 

公園に入ってまず目に入るのは三の曲輪です。

 

二の曲輪への虎口を押さえ、馬出のような構造になっています。

 

東側には四の曲輪です。

三の曲輪との関係性、虎口の構造がよくわかりませんが、台地が続く先には鎌倉街道がありますので、橋頭堡的な役割だったのかもしれません。

 

二の曲輪への虎口。

 

入った正面と右側には一の曲輪の櫓台が張り出しており、虎口を突破した敵に十字砲火を浴びせることができるようになっています。

 

二の曲輪は一の曲輪をL字に囲んでいる城内最大の曲輪です。

 

一の曲輪への虎口は明瞭ではないようです。ただ、櫓台から横矢が掛かる現在の位置に違和感はありません。

橋が架かっていたかどうかは不明確とのこと。ただ毎回堀底に降りるのは不便なので、平時には橋が架かっていたのではないでしょうか?

 

一の曲輪は国道の建設のため1/3程が削られて失われています。

 

先ほどの櫓台の上から虎口をみたところ。

 

小さな城跡ですので、くまなく回っても小一時間ほど。

遺構は明瞭で保存状態もよく、公園としてよく整備されていますので、とても楽しめました。

 

 

 

↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

「自動車駅」の名残を伝える江戸崎駅

下総神崎駅からのバスを江戸崎ではなく、ひとつ手前の浜町で下車したのには理由があります。

江戸崎城に近いというのは当然ながら、乗り換える予定の稲敷エリア広域バスのバス停が近いというのが大きな理由でした。

 

江戸崎に集まるバス路線は江戸崎のバスターミナルに発着するものが多いですが、関東鉄道の江戸崎バス停は違う場所にあるらしい・・・yahooの乗り換え案内で検索したバス停の地図をたよりに、バス停を探します。

 

 すると、雁木の屋根の下にベンチがおかれた「いかにも」という感じのスペースを発見。

しかし、バス停の標識がどこにもありません。

 

何度か行ったり来たりしましたが見つからず、情報を求めてJRバス関東の江戸崎駅に行ってみることにしました。

 


江戸崎「駅」は土浦と江戸崎を結ぶJRバス関東霞ヶ浦線の終着駅。国鉄時代の名残を伝える「自動車駅」の生き残りです。

鉄道の補助・代行という性格を色濃く持ち、国鉄線の一部と位置付けられていた国鉄バスは、鉄道と同様の旅客・貨物輸送を行っていました。

その拠点として設けられたのが自動車駅です。線路こそないものの、窓口で乗車券を販売し、荷物の荷捌きを行うなど鉄道駅と同等の業務を行っていました。


現在では想像できませんが、鉄道とバスを組み合わせて通しで乗車券をつくることができたようです。

種村直樹による国鉄末期の最長片道切符の旅がその例のひとつでしょうか。この時の様子は『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』という本にまとめられています。

 

国鉄民営化により国鉄バスもJRバスに移管されました。

その後、JR線との連絡運輸の廃止にJRバスそのものの路線縮小もあって、自動車駅は窓口が廃止され、単なるバスターミナルになっているところがほとんどです。

江戸崎駅も名前こそ残っているものの窓口業務は廃止済。ただ、JRバスだけではなく、関東鉄道や桜東バス等近隣のバス路線がここに集約されたので、利便性は向上したといえるかもしれません。

鉄道路線に恵まれなかった江戸崎ですが、土浦、ひたち野うしく、竜ケ崎、佐原、下総神崎と各方面のバスが発着し、交通の結節点として機能しています。

 

探していた稲敷エリア広域バスのバス停も見つけました。



そんな絶滅寸前の自動車駅ですが、かつての面影を残しているのが草津温泉駅ではないでしょうか?

長野原草津口駅を結ぶJRバス関東の終着駅にして、各方面のバスが発着するバスターミナルは構内には「みどりの窓口」があります。

JR線との連絡運輸は廃止されているので通しの切符を購入することはできませんが、長野原草津口駅からのJR線の乗車券、料金券を購入することができます。

また、バスの乗車券も売っているので、同時に購入すれば連絡運輸の有無は実質的には関係ありません。

 

草津温泉へは東京から直通の高速バスがありますが、長野原草津口駅経由の需要も根強いようです。

特急「草津・四万」に接続するバスは続行便が出て2台での運行されていました。バスの台数は切符の発売状況を見ながら臨機応変に対応しているようです。

 

 

 

↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

 

 

 

きたながせ【駅名しりとり357】

北長瀬 (JR西日本

 

 

 

2005年に開業した若い駅。

岡山貨物ターミナルの西端にあって、本線の間に引上線があるため、ホームの配置が平行にならず、ハの字に開いています。武蔵野線三郷駅や吉川駅と同じような感じでしょうか。

駅の南側は岡山操車場の跡地を利用した街づくりが行われました。岡山駅から5分程度と近いこともあって利用客は順調に伸びているようです。

 

 

 

↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。

にほんブログ村 鉄道ブログ 日本全国の鉄道へ
にほんブログ村

 

 

 

訪城記 ~江戸崎城~ 【2024.3.16】

前日飲み会だったため目覚ましをかけずに寝たのですが、朝早く目が覚めてしまったのでお出かけすることにしました。

 

松戸8:31発の電車に乗り、我孫子、成田と乗り継いで、下総神崎駅に降り立ちました。

 

10:30発の桜東バスに乗り換えます。

翌3月17日は、酒蔵まつりでバスが運休するとのこと。危ないところでした。

 

バスに揺られること約40分。旧江戸崎町の中心部に近い浜町というバス停で下車しました。

 

 

乗り換えのバスまで1時間半ほどあるので、その間に江戸崎城跡を散策します。

 

江戸崎城は、稲敷台地の南端、舌状に張り出した台地につくられ、麓に水堀を巡らした連郭式の城でした。現在、水堀はすべて埋められてしまっていますが、ところどころに遺構が認められます。
戦国時代は美濃の守護土岐氏の一族、土岐原氏の支配下にあったものの、小田原の役の年に佐竹氏の攻撃を受け落城。
その後、江戸崎城には佐竹義重の次男芦名盛重が入ります。現在の町割りはこの時に整えられたようです。
江戸時代に入るとこのあたりは天領となり、江戸崎城も廃城になった由。


まず向かったのは瑞祥院。臨済宗妙心寺派の寺院で、創建は南北朝時代の1352年と伝わります。

 

本堂背後の山は羅漢山と呼ばれています。尾根状になっており、いかにも城跡っぽい地形ですが、後世の改変が著しい中、どこまで旧状を残しているのかよくわかりません。

 

尾根の先端部には金比羅堂。物見櫓のようにも見えます。

 

 

南側の鹿島神社は二の丸跡です。

 

北側に巨大な土塁が残っています。


二の丸の南半分は江戸崎小学校の校庭になっています。

 

江戸崎小学校。二の丸があった台地を造成してつくられました。

校舎より高い校庭がかすかな名残です。

 

 

そして、最後に本丸へ。

かつての堀底が道路になっています。

 

本丸の南側の曲輪です。

縄張図によっては二の丸と記載されているものもありますが、台地の先端部を守る笹曲輪とでも呼ぶべき曲輪かと思います。

 

本丸は方100mほどでしょうか。

中央には畑があってなんとなく私有地っぽい雰囲気。北側には土塁が残っているようですが、深入りはしないようにしました。

 

そして、片隅には城山稲荷がありました。

朽ちてなくなってしまいそうな小さな祠ですが、由来を見ると意外に歴史があるみたい。

 

 

かつては山麓部を水堀が囲んでいたようですが、すべて埋められているほか、各曲輪も遺構の大部分は消滅しています。

点在する遺構は多くはなく、ゆっくりめぐっても1時間ほど。

次のバスまで時間がありますが、早めにバス停に向かうことにしました。

 

 

 

↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村