カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

やまだ 【駅名しりとり242】

山田大阪高速鉄道

 

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ガンバ大阪のホームスタジアムが新しくなって、キャパが大きくなったせいか、
試合終了後の万博記念公園駅の混雑がひどくなった印象があります。
モノレールは輸送力が小さいので、何本か見送らないと乗車できません。

あるとき、一緒に行った友人が「山田まで歩けるよ」というので、一度歩いたことがあります。
徐々にサポーターの数が少なくなり、山田駅に着くころにはまばらに。阪急千里線に乗り換える人も少ないみたいで、駅周辺は、サッカーの喧騒とは全く無縁の時間が流れていました。
ただ、スタジアムから2km以上あり、20分以上歩きましたので、意味があったかどうかはわかりません。

 

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訪城記 ~箕田城~ 【2019.10.26】

武蔵丘短期大学から乗った鴻巣駅行のバスを逆川一丁目で下車。
住宅街の中を、鴻巣高校を目指して歩いていきます。

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校庭のすぐ横、こんもりとした雑木林が目的地、箕田城です。

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源経基館」と書かれていますが、たぶん嘘。遺構が平安時代までさかのぼる可能性はほぼないみたいです。

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堀底を歩いていきます。
かなり埋まってしまっているものと思いますが、保存状態は悪くありません。

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北東の隅は、入隅になっていて横矢がかかるようになっています。

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曲輪内へ。手入れが行き届いていて歩きやすく、三方を土塁が囲む様子もよくわかります。

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土塁の上が広く、櫓台のようになっているところに、「六孫王経基城址」の石碑があります。この土塁も石碑設置のために改変されたものだと思います。

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土塁が少し低くなっているところ。ここが当時の虎口でしょうか?

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城跡を出て、荒川の河川敷まで足を延ばしてみました。

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土手の上から見る城跡。河岸段丘の縁という選地がよくわかります。

ただ、木々がこんもりしているので相当な崖に見えますが、見た目ほどの高低差はありません。

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目線を180°うつすと、広大な河川敷が広がります。この辺りは川幅日本一として売り出しているところでもあります。
台風19号のときは、この河川敷が水であふれかえったとのことです。その痕跡は今も堤防にはっきりと残っていました。

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岩室観音

10月26日話、ダラダラ続きます。

 

吉見を後にする前に、岩室観音にも寄り道しました。
お堂は、江戸時代の寛文年間(1661~1673年)につくられたもの、とのこと。清水寺と同じ懸造りだそうですが、正面から見る限り懸造りっぽくありません。
ここは、松山城の虎口がったと伝わります。そういう目で見ると、お堂が、二階門に見えてきます。

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お堂の背後は、城道のようにも、竪堀のようにも、自然の谷のようにも見えます。
大雨の翌日でしたので、水が結構な勢いで流れていました。
左側の斜面に穴が開いていて、「胎内くぐり」をするとご利益があるみたいです。
滑って危なそうなので、やめておきました。

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お堂の二階に上がります。
とても眺めがよろしい。ちょっとだけ、石川五右衛門になったような気分です。

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お堂の両側は岩がくりぬかれ、多数の石仏が安置されています。
百穴といい、軍需工場といい、岩窟ホテルといい、この地域の人々は岩を穿つことに執念を燃やしすぎだと思います。

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松山城跡の丘陵を回り込んで、武蔵丘短期大学まで歩きました。
ここはかつて松山城の外郭がありました。戦後の再開発で遺構は破壊され、そのあとにきれいな大学が建ちました。
折れを伴った階段を持つ校門の形に、城の面影を感じる…というのは妄想が暴走していますね。

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11:17の鴻巣駅行のバスに乗車しました。

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吉見百穴

武蔵松山城のすぐそば、歩いて数分のところに国指定史跡「吉見百穴」があります。
ちなみに、私はずっと「よしみひゃっけつ」と読んでいましたが、いろいろなパンフレットやホームページを見ると「よしみひゃくあな」と読むのが主流みたいです。

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入場料300円也。

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余談ですが、入口の横に休憩所あって、、いろいろなパンフレットをもらえます。
武蔵松山城関係も豊富。城跡に行く前にこっちに来た方が良かったかもしれません。

 


目の前には、凝灰岩が露出した斜面に並ぶ横穴墓。独特の景観が広がります。
古墳時代後期につくられたもので、穴の数は全部で219といわれています。

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中をのぞいてみると、台座のような構造がみえます。ここに棺を置いたのでしょうか?

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また、岩山の下の方にある穴にはヒカリゴケが自生しているものがあります。関東におけるヒカリゴケの自生地は非常に貴重で天然記念物に指定されています。
一時期より個体数を減らしているようで、現在は、穴の入り口に金網、そして湿度を保つための水が入った甕が置かれ、厳重に管理されています。
隙間からのぞき込むと、かすかに緑色に光っているのがわかります。
写真ではよくわかりませんね。素人の手には負えません。

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また、同じ岩山に、人が立って出入りできるほどの大きな穴も開いています。
これも、横穴墓・・・ではなくて、太平洋戦争末期に造られた中島飛行機の地下工場の跡です。

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山腹のあちこちに坑口があります。
工事は突貫で進められましが、このために、横穴のいくつかは破壊されてしまったとのこと。

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内部の見学ができたようですが、落盤の危険があるため、現在は立入禁止になっています。

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地下の軍需工場は、松山城の下にも造られました。
それらしい坑口がありました。

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もうひとつ。見つけたと思ったら、これは個人で掘っていたものだそうです。
「岩窟ホテル」という名前で、廃墟好きの間では有名らしいです。
ただ、戦時中は軍需工場ともつながっていたという話もあるみたいなので、無関係ではなさそうです。

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松代の大本営もそうですが、こういった遺構を見ると不思議な気持ちになります。
重要施設を地下に移さざるを得なくなった時点で、負け戦は確定していたと思うのですが、
いろいろな情勢や思惑がからんで、1945年8月まで戦争は続きました。
10年以上も戦争しているので投了に躊躇する気持ちもわからないではありませんが、その間犠牲になったのは、前線で戦っている兵士、そこに巻き込まれた一般市民です。

 

大日本帝国が起こした、あのときの「失敗」を忘れてはいけないと思います。

 

 

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訪城記 ~武蔵松山城~ 【2019.10.26】

前日の大雨が嘘のようにスッキリと晴れた10月26日土曜日、
7:45に東松山駅に降り立ちました。

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駅前のバスターミナル3番乗り場から、8:10発の鴻巣免許センター行のバスに乗り換えます。

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10分弱の乗車時間で、「百穴入口」に到着。

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市野川の向こうにある小高い丘が、最初の目的地、武蔵松山城です。

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丘に沿って進むと、すぐに城跡への入口を見つけました。

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昨日の雨の影響か、水が道に流れていて、ちょっとした沢みたいになっています。
そんな道を登ること5分ほどで本曲輪の背後に出ました。
下の写真で右の道は、今登ってきた登城路、左は、本曲輪の背後を守る笹曲輪、右の斜面の上が本曲輪です。

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立派な石段を登ると、ひらけました。
コンクリートの基礎のようなものがありますが、神社か何かあったのでしょうか?

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二ノ曲輪に行くために、虎口というには急すぎる斜面を降りて、堀底へ。さらに対岸の斜面を登ります。

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二ノ曲輪は、本曲輪東側を防御する、城内最大規模の曲輪です。
縄張図を見ると、下位の各曲輪に横矢がかかるようになっていて、籠城戦の中心になったところだと思います。

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また堀底におりて三ノ曲輪へ。

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曲輪の南側には馬出があります。
細い土橋とその先の馬出がわかるでしょうか?

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三ノ曲輪から曲輪4への道はこれまでと異なり、斜面に沿って徐々に堀底に降りていく構造になっています。
これが、当時の登城路そのままだとしたら、三の曲輪に入るまでの間、延々横矢にさらされることになります。

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曲輪4を抜けると住宅街に出ました。
本来と逆に歩いてきてしまいましたが、構造的にここか、先ほどの馬出のところが大手になるのだと思います。

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本曲輪まで戻って、北側へ。

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一段降りると、兵糧倉と書かれた曲輪です。本当にこんな名前だったのでしょうか?

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搦手口があったと伝わる、岩室観音の背後を抜けて、惣曲輪を経て、東側の虎口へ。
こちらは、台地の根元のほうなので、急な坂などはありません。

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技巧的な縄張、巨大な横堀と膨大な土木量、見るべきところが多い城跡で、楽しめました。
が、下草が繁茂しているので遺構を十分に観察できず、足下はグチャグチャで滑る、蜘蛛の巣いっぱい、と散策には不利な条件が多すぎ。
土の城を闊歩するには時期が早い、というのは薄々わかってはいましたが、想像以上でした。
リベンジが必要ですね。

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