カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~高山城~ 【2021.7.22】

7月22日、新幹線で名古屋へ。(ワイドビュー)ひだ3号に乗り換えました。

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高山で下車しました。

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まずは、駅から北へ5分ほどの飛騨国分寺へ。

山門をくぐった正面にある鐘楼堂は高山城からの移築と伝わります。

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城跡に行く前に、もう少し寄り道します。

 

城の東側、江名子川の細い流れを渡った先の高台に寺院が集まっています。

そして、ここには高山城からの移築と伝わる建造物がいくつか残されているので、サクッと一巡しました。

 

法華寺 本堂

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東山神明神社 絵馬殿

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素玄寺 本堂

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雲龍寺鐘楼門

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高山城の歴史は古く、1500年代初頭までさかのぼるようですが、近世城郭としての体裁を整えたのは、金森長近が居城とした1588年以降のこと。

1692年に金森氏が上山へ転封、天領となったことで役目を終え、廃城になりました。

高山城というと山上に建物が所狭しと並んだ山城というイメージがありますが、城下街近くの山麓まで、曲輪が段々に配置されてました。

最も下段にある三の丸はコの字の水堀で囲まれており、いまも西側に堀が現存しています。

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三の丸は護国神社になっていました。

かなり改変されているようです。地形に名残を感じることができるかどうか。

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護国神社の裏手から二の丸に登ってきました。

ここは駐車場と芝生の広場が広がっていました。

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金森長近の銅像

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駐車場の向こうに登山道がありました。

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5分ほど登ると、壮大な切岸に突き当たります。 

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本丸下の東北曲輪。正面の斜面の上は本丸です。当時は石垣だったのでしょうか?

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本丸まで登ってきました。目の前の石垣は復元されたものです。

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ここに来るのは2回目です。前回は2007年でした。

年末の寒い中を無理して登りましたが、霧(というより雲)の中に入ったように周囲は真っ白で、何もわからなかった記憶があります。

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本丸は想像以上に狭いです。

ここには櫓と御殿を兼ねたような独特な機能と構造の建物が石垣からはみ出さんばかりに立ち並んでいたといいます。

実際、一部は懸造になっていたようですので、この表現も決して大げさではありません。

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本丸から南側に降りていきます。

石垣の残骸がありました。 

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看板によれば、尾根続きになっている、本丸南側が大手とのことです。

でも、三の丸、二の丸を経る登城路が搦手というのもおかしな気がします。

大手と搦手という言葉にどこまで固執すべきかという問題はともかく、その言葉の意味を重視して考えるならば、逆と考えるのが普通の感覚だと思います。

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高山駅に戻り、16:07発の普通列車に乗車。

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猪谷で乗り継いで、富山に向かいました。 

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しんいたばし【駅名しりとり285】

新板橋 (東京都交通局

 

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JR埼京線板橋駅との乗り換えが可能、というのを何かで見たことがあるのですが、地図上で500mくらいは離れているみたいです。ここを乗り換える人はいるのでしょうか?

両駅の間には旧中山道が通っており、このあたりは日本橋を出て最初の宿場町、板橋宿がありました。

1868年、 新選組局長近藤勇は、流山で捕縛されたのち、新政府軍の総督府がおかれていたこの地へ連行され、処刑されました。板橋駅近くの寿徳寺境外墓地に墓所があるようです。近藤勇墓所は各地にありますが、ここは永倉新八の建立だとのこと。

 

 

 

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ねぎし【駅名しりとり284】

根岸 (JR東日本

 

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ENEOS根岸製油所が隣接しており、構内には多数のタンク車が並んでいます。

Wikipediaによれば、 車扱貨物の取扱高日本一とのこと。全国的に車扱貨物が減少していく中で、貴重な風景を見ることができます。

東日本大震災直後にはこの駅から盛岡や郡山へ石油輸送列車が運行されました。

地震津波の直接的な被害がすくなかったところでも、長期の断水や停電、そして燃料不足に苦しみましたので、

この列車の運行は一筋の希望として伝えられたのを今でも覚えています。

 

 

 

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訪城記 ~日出城~ 【2021.5.1】

佐伯城から駅に戻って、13:08発のにちりん8号に乗車。大分駅へ。

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普通列車に乗り換えて、暘谷駅で下車しました。

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駅から南へ5分ほど。下見板張の二重櫓が現れました。

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日出町の歴史資料館の敷地に移築されているこの櫓は、鬼門櫓といいます。

その名の通り、本丸の鬼門にあたる北東にあった櫓で、珍しいのは、建物自身も鬼門方向を斜めにしていること。縄張をへこませるという例はよくありますが、建物の例はあまり見たことがありません。

 

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内部も公開中。

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鬼門櫓の背後、巨大な空堀の向こうが本丸。現在は日出小学校の敷地になっています。

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虎口。不法侵入になるので、本丸内に突入するのは断念しました。

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先ほどの鬼門櫓が本来あったところ。できれば旧位置に戻してあげたいところですが、学校の敷地内ということで難しいのかとも思います。

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本丸東側の空堀。正面の石垣は天守台です。当時は三層三階の天守が建っていました。

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本丸南側は腰曲輪のようになっていました。

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南側から本丸へ登る虎口。勝手口のようなこじんまりとした感じです。

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石垣は海のそばまで迫っています。

現在は護岸工事がされていますが、当時は潮が石垣を洗っていたものと思います。

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城跡から臨む別府湾。この辺りでかの有名ブランド「城下かれい」がとれるのでしょうか?

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国道まで歩いて、16:48発のバスに乗車。

大分空港19:45発のANAで戻りました。

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訪城記 ~佐伯城~ 【2021.5.1】

5月1日は宮崎6:48発のにちりん4号でスタートです。

列車は宮崎県の海岸線を北上。途中、都農から美々津にかけてはリニア実験線と並行します。

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1977年に宮崎実験線が開設されてから45年、夢の超特急もようやく実現が見えてきました。

おそらくバブルが弾けず、景気拡大が続いていたらもっと早く実現していたはずなので、

ここ何十年かの停滞は、リニアにとっても不幸なことでした。

 

延岡からの宗太郎越えは普通列車が極端に少なくなる輸送上の隘路。列車は山の中をゆったり進みます。

やがて地形がなだらかになり、空が広くなると佐伯。9:03に到着しました。

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駅前から大分交通のバスに乗車、大手前で下車しました。

佐伯城最寄りの大手前バス停までは10分弱。地図上で2kmくらいありますので歩くには少し距離があります。

バスの本数は少ないですが、佐伯駅~大手前は複数系統が重複しているため、ならせば1時間に1~2本になります。

運転間隔はバラバラですが。

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バス停から北に向かうとすぐに三の丸櫓門が見えてきます。

武骨で小ぶりな櫓門。内枡形になっており、門をくぐった三の丸跡地には文化会館が建っています。

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登山道は複数ありますが、当時の道に近いといわれる登城の道を選びました。

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15分ほどで、西出丸に到達。

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二の丸への虎口は尾根が狭くなったところに設けられています。

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佐伯城の縄張の特徴。本丸との間の堀切です。両側を石垣で固めた箱堀ですが、幅が狭い。2mくらいしかありません。

こんな狭い堀でもないよりはまし、だとは思いますが、ちょっと貧相すぎるようです。

北出丸と二の丸を連絡する通路というのが主目的ではないかと想定しましたが、いかがでしょうか?

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すぐ横には三の丸からの虎口。防御の要となる設備がこの狭い空間にひしめきあっており、とても興味深い縄張です。

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本丸はそのほとんどを天守台が占めています。

当時は3層の天守があったようです。

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本丸の東側の石垣は独特です。

隅が丸くなっています。後年の積み直しの結果でしょうか?

ちなみに、一直線の階段が本丸に延びていますが、これは後年つけられたもののようです。

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北出丸から本丸を見たところ。手前にある虎口は水の手に続いています。

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帰りは独歩碑の道にしました。

坂を下っていくと平場にでました。ここは捨曲輪などと呼ばれ、異常時に使用するスペースとなっています。

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最後に、北側の石垣をみます。最近見つかったという階段状の石垣は奥の白っぽいところでしょうか?

これほどの規模の石垣がこれまで認識されていなかったというのは俄かには信じがたいことですが。。。

ちなみに2枚目は北出丸から覗いたものです。

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山を下りて佐伯駅へ。バスの時間が合わなかったので、歩いて戻りました。

 

 

 

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