カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

上越国境いってこい

この冬、日本海側は何度も大雪に見舞われています。

特に海沿いの被害が多い印象。大規模な自動車の立ち往生や鉄道の運休など何度も目にしました。

冬の間、日本海側は鉛色の雲に覆われています。関東平野部との違いは劇的で、例えば上越新幹線に乗っていると、高崎を過ぎたところで徐々に雲が増え、越後湯沢では吹雪というように、目まぐるしく変化します。

 

2023年1月7日。そんな真冬の越後湯沢。

―――よく晴れていました。

 

スキー場へのバスに長い列ができています。

 

駅に戻ると、9:14発の超快速スノーラビットが停車していました。

2015年「はくたか」廃止後も速達性を維持してきた北越急行ですが、

次のダイヤ改正で快速列車の廃止、スピードダウンが発表されたことで大きな転換点を迎えています。

ローカル輸送に徹するには設備が過剰ですが、何とか延命しようという思いを感じます。

 

 

9:54発の水上行きに乗車します。上越国境を超える定期普通列車は5往復しかありませんが、これは年末年始に増発された列車です。

E219系4両編成。意外に利用客が多く、各車両20人前後が乗車しました。

 

徐々に平野が狭くなって、山が近づいてきます。

 

ループ線を越えて、土合。

山間の小駅ですが、秘境駅として、モグラ駅として、さらには谷川岳への玄関口としてけっこう有名な駅です。

 

清水トンネルを抜けて、2度目ループ線。眼下に湯檜曽駅が見えます。

全国で6か所しかないループ線のうち、2つを味わえる、楽しい鉄道路線ですね。

 

10:34水上着

 

10:45発の上り列車は新前橋行き。

 

11:37に新前橋到着

こんどのダイヤ改正で置き換えられる651系がとまっていました。

 

 

 

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BRT雑感

大船渡に宿泊して、12月31日。

7:26発のBRTに乗車します。

 

市街地を見下ろす線路敷を利用した専用道を快走します。

 

陸前高田市内に入ると一般道へ。真新しい住宅が並ぶ区画整理された土地には空き地が目立ちます。

 

再び専用道を抜けて、8:45に気仙沼に到着しました。

大船渡市内から約1時間半。ちなみに、鉄道時代は60分でした。

 

 

9:25発の気仙沼線BRTに乗り換えます。

 

被害が大きかった旧志津川町内は一般道を進みます。
志津川駅は道の駅みたいになっており、きれいになってはいるものの、鉄道の痕跡は一切確認できませんでした。

 

最後の区間は自動運転。加減速はなめらかですが、慎重すぎるくらいの徐行を繰り返しており、所要時間という面では若干不利かも。

 

結局、気仙沼から2時間弱で柳津到着。

鉄道があったころは、快速南三陸で1時間、普通でも1時間半ほどでしたので、こちらも30分ほど所要時間がのびています。


BRTと言いながら一般道を走行する場面が多いことや停留所の数を増やしたことなど、利便性向上への取り組みが垣間見えますが、

一方で、30~60分所要時間がのびたことや、高速で走行すると揺れが大きく乗り心地に難があることなど、鉄道と比較するとパワー不足の面も否めません。

地域内交通としては十分だとしても地域間交通としては課題が多いというのが率直な感想です。

しかし、すでに鉄道としての復旧は断念されており、陸前高田志津川は線路の存在を前提としない街づくりが進んでいることから、鉄道での復旧は絶望的な状況です。

山田線のように、鉄道復旧させたうえで三陸鉄道が一括で引き受けるというのが現実的なシナリオだったと思いますが。。。



何度も津波に見舞われた三陸地方にとって鉄道は悲願でした。

熱狂と興奮に包まれた開業日の志津川の様子を、宮脇俊三は以下のように記しています。

 

気仙沼線の中心駅だけに大きな新駅である。しかし広いホームに立つ人の数は意外に少ない。そのかわり、サッカーでもやれそうな広い駅前広場はびっしりと人間で埋まっていて、思わず口(ママ)を開けて見下ろしたところ五千人以下ではない。一万人ぐらいかもしれない。志津川は人口一万七千だからまさに町を挙げてである。特設の舞台も設けられている。花火が打ち上がり、風船が何百と放たれ、少なくとも百羽以上の鳩が飛びたった。上空にはヘリコプターが三機も旋回している。

宮脇俊三の『時刻表2万キロ』(河出書房新社、1980年)

 

 

三陸沿岸がレールでつながってから39年。そして震災から12年。

もう戻れないところまで来てしまった、そんな気がします。

 

 

 

 

 

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とやまえき【駅名しりとり323】

富山駅富山地方鉄道

 

 

 

公共交通について先進的な取り組みを続ける富山市ですが、新幹線の開業と在来線の高架化の完成、さらに、停留所を高架下に移設し南北の軌道線が接続したことにより一応の完成をみました。

新幹線の改札と同一平面でつながり、雨に濡れることなく乗り換えが可能。ひっきりなしに低床車両が発着する様子は日本ではあまり見ることができない風景です。

駅南側の市街地と富山港線岩瀬浜を結ぶ系統が多いですが、スイッチバックする列車が運転本数では多数派。柔軟な運用は路面電車の真骨頂ですよね。

 

 

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山田線から三陸鉄道

去年の年末の話です。

 

盛岡に宿泊して、翌12月30日。

11:09発の快速リアスに乗車します。

 

山田線に乗るのは30年ぶりくらい。

当時はキハ52が現役で、現在はIGRいわて銀河鉄道が使用している新幹線高架下のホームに発着していました。

車両はキハ110に替わりましたが、ダイヤは当時からあまり変わっていないのではないでしょうか?

宮古まで行く列車は1日に4本しかなく、6:32発の始発の次がこの列車。間に上米内行きが2本挟まり、年末年始は臨時列車も運転されていたようですが、浮世離れしたダイヤであることには変わりありません。

 

上米内で行き違いのための4分停車。

 

上米内を出ると次の停車駅である陸中川井まで無停車。82分かかります。
その間、北上山地は徐々に険しくなり、人跡も途切れがちに。

 

山田線が着工されたのは1920年原敬が首相のとき。帝国議会で野党議員の「山猿でものせるつもりか」という非難に対して、「鉄道規則では猿は載せないことになっている」と平然と答弁したというのは有名な話です。
真偽は疑わしいようですが。

 

13:30、宮古着。

 

 

東日本大震災後はじめてきた三陸沿岸。
宮古駅前の風景から震災の傷跡は感じられませんでした。駅舎も震災前のものをリニューアルして使用しているようです。

 

14:13発の盛行きに乗車。

震災後、JR山田線の宮古以南が三陸鉄道に移管されたことが、目に見える大きな変化でしょうか。

 

しかし、発車して海が見えてくると、印象が一変します。

海と陸を隔てる高い堤防。綺麗に区画整理された街には古い建物はなく、空き地が目立ちます。

不自然なまでの人工的な街並みに震災を思わざるを得ません。



昨年公開された「すずめの戸締まり」は東日本大震災をダイレクトに取りあげたことで話題になりました。

「いまでなければ間に合わないかもしれないと思った」という趣旨のことを新海誠監督はインタビューで語っていますが、

あの日から12年たって、今の小学生以下の人たちには震災の記憶がないという当たり前の事実に愕然とします。

 

こうやって、徐々に風化していくのですね。阪神大震災しかり。太平洋戦争しかり。

 

 

15:39着の釜石。7分停車します。

 

16:35に盛着。

 

BRTに転換されたJR大船渡線とは対面での乗り換えになります。
駅の雰囲気はそのままですが、鉄路は途切れたままです。

 

 

 

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【ちょっと昔の流山21】2007年6月2日② 金刀比羅神社、熊野神社、稲荷神社

2007年6月2日、続きです。

この日は、さらに3か所の神社に行ったみたいです。

 

まずは、上新宿の金刀比羅神社です。1823年創建。当初は柳沢家の氏神様だったとのこと。

 

熊野神社。創建年代は不詳ですが、江戸時代の新田開発によりこの地域の鎮守としてまつられたようです。祭神は熊野大神

 

最後は稲荷神社です。こちらも創建は不詳。



 

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