カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~津和野城~ 【2018.4.30】

鳥取に宿泊して、翌4月30日。
7:04発のスーパーまつかぜ1号に乗車しました。

少々お尻が痛くなってきて、車窓にも飽きてきて眠気がやってきた頃、ようやく益田駅に到着しました。
到着時間は10:51。3時間40分以上かかりました。
30分の待ち合わせ時間で、11:24発の山口線普通列車に乗車しました。

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12:05に津和野駅に到着しました。
鳥取出発から5時間以上たっています。山陰の海岸線は予想以上に長かったです。

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駅から歩いて津和野城を目指します。
10分ほど歩くと、津和野川にかかる御幸橋の向こう側に馬場先櫓が見えてきました。
背後にそびえる山の山頂には津和野城の本丸である三十間台があります。(ちょうど樹木が切れて平らになっているところです)
これからあそこまで登ることを考えると萎えてしまいそうです。

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馬場先櫓は山麓部分にあった津和野城の御殿(津和野藩邸と看板には書いてありました)の北東隅に建てられた2層2階の現存櫓です。
津和野城の建物群の中で、当時と同じ場所に遺る唯一の建造物とのことです。

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さらにその向こうには、嘉楽園という庭園跡の隅に建つ物見櫓が見えます。
海鼠壁をもつ白い建物は馬場先櫓とは全く違う意匠です。
これも藩政時代からの現存建造物ですが、元々は津和野高校の正門付近に建っていたとのことですので、移築されているということになります。

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物見櫓の横、津和野高校の正門前から山道を登っていきます。
途中から分岐する遊歩道を登って本丸に行くこともできますが、リフトもあります。

…気持ちが萎えてしまったのでリフトにしました。往復で450円。

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5分ほどの乗車時間で到着。
尾根の上を歩き始めましたが、いきなりの仮設通路。
織部丸という出丸の北側を守る堀切も仮設の通路から。

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織部丸自体にも入れませんでした。

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やがて石段になって、本城と呼ばれる山上部の大手門にあたる東門跡に到着しました。
ただ、ここも仮設の通路が作られていて、門の跡に立ち入ることはできません。
奥には三段櫓と呼ばれる、3段になった石垣。この城の見どころのひとつです。
下段の石垣は金網で防護されています。崩落の危険があるのでしょうか?

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本丸である三十間台に登る前に三の丸を見てきましょう。
西側部分は、尾根に張り出して西門を側面から防御するような位置にあります。
地面には、瓦と思われる陶器の破片がいっぱい転がっています。
明治になって破却されたときに打ち捨てられたものでしょうか?加えて、文化財の保護という観点で考えたときにこのまま放っておいてよいのでしょうか?

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三の丸から望む天守台です。

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この天守台が私には不思議でした。
本丸である三十間台からは1段下がったところにあり、しかも西側ですので、三十間台が邪魔しており城下町からはほとんど見えないと思います。
一応、本城のなかでは中心部にあたり、防御の要となる重要なところですので、ここに何かがあること自体は不思議ではありません。
しかし、天守(御三階櫓?)というシンボリック(特に近世以降天守のシンボル性というのは強いはず)な建物を城下からはよく見えない位置に建てるというのが近世城郭らしくないと思います。
というか、そもそも、ここに天守に相当するような建物が建っていたのでしょうか?

天守台を通って太鼓丸に登ります。
この途中にも、立ち入り禁止のところがあります。
全体的に石垣が緩んできていているのでしょうか?
あちこちで立ち入り禁止になっていたり、工事していたりしているのでこの城跡の将来が少々不安になります。

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そして三十間台に到着。
尾根筋の道ですので、それほど険しいわけではありませんが、かなり疲れました。
足に力が入らないような感じです。杉山城と鳥取砂丘の後遺症でしょうか?

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ここからは津和野の街を手に取るように望むことができます。
ちょうど、特急「スーパーおき」が通り抜けていきました。

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天守台経由で三の丸に戻り、南側に進みます。
すると、津和野城で一番立派な石垣で、一番有名なところ、人質郭の石垣があらわれました。
非常に均整の取れた石垣でとても美しいです。

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南の端には南門があります。
門を出たところはすぐに崖になっていて、落ちたら大変なことになりそう。
道は、石垣に沿うように回り込んでいます。
この先には中世の山城遺構である、中荒城跡があります。津和野城が近世城郭に改造された際には場外と判断され放置されました。
しかし、今も畝状竪堀をはじめ遺構が多く残っているとのことです。
当初はこの道を通って中荒城を見に行くことも視野に入れていました。
しかし、足の疲れが尋常ではないこと、足を踏み外して尾根から滑落したら誰にも発見されないだろうということ、このあたりが熊の生息域である看板を見たこと、そしてなによりも、行かない理由を一生懸命探している自分に気が付いたこと…
今回はおとなしく引き返すことにしました。

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来た道を戻りリフトに乗りました。
なんだかんだで2時間近く山上にいたせいか、リフト乗り場の係の人に「なかなか戻ってこないから歩いて降りたのかと思った」と声を掛けられてしまいました。

城下に戻ってきたのは3時過ぎくらい。山陰の小京都と呼ばれる津和野ですから見るべきものはいっぱいあります。
しかし、どうも気力がわきません。しんどいです。
津和野駅でSLやまぐち号の発車を見送った後、結局5時過ぎにはホテルに入ってしまいました。

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何しに来たんだかよくわからない状況になってしまいました。
津和野へは改めて来る必要がありそうです。



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