GWの初日、4月27日は始発の新幹線に乗車。
仙台で地下鉄に乗り換えて大町西公園で下車しました。広瀬川がつくる谷に向かって緩やかに下ります。
広瀬川を渡ったところが仙台城です。山の上の石垣が本丸跡です。
広瀬川に架かる大橋を渡って、左手に三之丸を見ながら進むと、大手口に到着します。
二の丸の正面にあたるここには、旧国宝に指定されていた大手門と脇櫓がありました。
大手門は名護屋城からの移築と伝わる巨大な楼門でした。
脇櫓は1967年に復元されたもの。古写真と比較すると窓の大きさが異なっているほか、屋根にも違いがあります。
かつての優美さが失われて鈍重な印象になってしまっているのが残念。
伊達政宗没後400年にあたる2036年を目標に大手門の復元計画が進んでいるほか、同時に脇櫓の建て直しも計画されているようです。
現在通っている車道も移動されますので、このあたりの景観は一変することになりそうです。
大手門から本丸へ向かう道は2022年3月16日の福島県沖地震の影響で車両通行止め。ただし歩行者は通行可能です。
中門は食い違いになっています。
二の丸に戻ってきました。
二の丸は広大敷地に御殿が並んだ、実質的な政庁でした。現在はその大部分が東北大学のキャンパスになっています。
そして、この二の丸は縄張における異質さが目立ちます。
特に東面と北面は防御施設に乏しい印象。平時の二の丸、非常時の本丸という使い分けかな、と漠然と思っていました。
しかし、現場に立つと印象が変わりました。広瀬川の谷は深く外堀として機能し、東面から北面に敵軍を寄せ付けない他、段丘崖を利用した塁線は相当な高低差があります。
自然地形をうまく利用していると感じました。
二の丸の手前には三の丸があります。
二の丸の大手門へ向かう敵を横から攻撃できるほか、広瀬川の方に突出して橋頭堡のような役割もあったと思います。
巽門から三の丸へ。
本丸への登城路には清水門がありました。
仙台城は2011年3月11日の東日本大震災の時に大きな被害を受けました。
特に本丸北面の石垣の崩落は大きく報道されましたので、いまだに記憶に残っています。
震災から13年を経て、切込ハギの石垣がよみがえっています。
この石垣には艮櫓という三重櫓が建っていました。
本丸には4基の三重櫓がありましたが、艮櫓が最も市街地からよく見えます。大手門と並んで復元できればシンボルになりそうですが、発掘調査の結果断念されたとのこと。
詰門。現在は護国神社の鳥居が建っています。
両側の石垣には西脇櫓、東脇櫓という2基の三重櫓がありました。
本丸。
巨大な本丸御殿は発掘調査の結果として平面表示されています。
艮櫓跡からは城下を一望できます。
本丸の西半分と西の丸には護国神社があります。
城内に護国神社がある例というのは多々ありますが、参拝する気になれない私としては半ば迷惑施設です。
仙台城には天守がありませんでした。代わりに4基の三重櫓と崖に張り出した懸造がシンボルとなっていたようです。
一方、天守の存在を記載する絵図や、天守台と呼ばれる高台があります。
ただ、搦手を守るという点で戦術的な意味は見いだせるものの、奥まった位置にあり、三重櫓などもあって城下方向への視界が限定されていることから、この位置に高層の楼閣を建てる必然性は乏しいように感じます。
搦手には埋門という高土塁に囲まれた枡形虎口があります。
そして、その先には龍ノ口渓谷。八木山橋からのぞき込むとクラクラします。
この渓谷によって仙台城は後堅固の名城になりました。
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