津山まなびの鉄道館から津山駅を通って津山城へ。15分ほどで到着しました。
津山盆地の中央に位置する津山城は、山全体を石垣で固めた、石垣の名城。そして、櫓が多いことでも有名です。その棟数は姫路城や広島城より多かったとのこと。明治維新後にすべて破却されてしまいましたが、古写真のなかにその姿を垣間見ることができます。
現在は鶴山公園として整備され、桜の名所としても有名です。入場料310円なり。
公園内に入ると、石垣に囲まれた枡形。
180°ターンして石段を登ると三の丸です。
二の丸へは表中門を通ります。
これもまた石垣に囲まれた枡形。石段の広さが印象的です。
二の丸に入りました。
見上げる本丸の石垣の上には備中櫓。築城400年記念として2005年に復元されたものです。
本丸へ。奥の石段は切手門です。
ここまで、枡形を伴う虎口が連続しています。その縄張はとても技巧的ですが、入り組んだ城内を行ったり来たりさせたり、急に通路を細くするような工夫は見られません。この辺りは、名護屋城や石垣山城のような豊臣の城に通じるようなものを感じるのは私だけでしょうか。
切手門を通ると、本丸への最後の関門、表鉄門です。
この門は、防御施設としての役割のほか、本丸御殿の玄関としての役割もありました。
枡形を通ったのち、櫓門の中を通って本丸御殿に入る――つまり、導線がループしているのですね。
これは、縄張上の要請というよりは、手狭な山上の本丸において御殿機能を満たすために櫓内も利用せざるを得なかった、という側面が強いのではないでしょうか?
そして、それは備中櫓を見るとよくわかります。本丸側から見た備中櫓は縁側をもち、内部はいくつもの部屋に区切られて畳も敷かれています。
櫓内も御殿の一部として利用していたのですね、姫路城などにも同様の例を見ることができます。
天守曲輪へ。
本丸の南西部を区切り、中央には天守台が鎮座します。当時は5層5階の層塔型天守が建てられていました。しかし、4層5階と書かれた本もあったような気がします。これは4層目の屋根を板張としていたことによるもの。分不相応な天守、という幕府の因縁に対する言い訳だったとのことです。
雨も完全に上がり、日が差してきました。
一方、本丸の東側は工事中。おそらく築城前の地形を利用したものと思われる巨大な石塁には近づくことができません。城の東側の石垣を修理しているようです。
裏鉄門は、搦手口。
石段をおりるとすぐに石段があって、その先に裏中門。搦手側も技巧的な虎口を連続させるという縄張は一貫しています。
裏下門を通ると三の丸です。
時計を見ると、16:37発に辛うじて間に合いそうです。
早足で駅に戻りました。
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