金沢に宿泊して翌8月12日、まずは北陸鉄道浅野川線。
その後、金沢城に向かって歩きます。
1875年に完成したという神門が独特な尾山神社。
もともとは金谷出丸という金沢城内堀に面した馬出状の曲輪でした。
本殿の裏には、2020年に復元された鼠多門・鼠多門橋があります。
海鼠壁という他の建造物と共通の意匠を持ちますが、目地が黒漆喰となることで独特の黒っぽい外観をつくりだしています。
鼠多門をくぐると玉泉院丸。庭園は2015年に整備・復元されたものです。
二の丸を経て新丸へ。
大手口付近から河北門を望みます。
2011年に復元された河北門。
三の丸に入ると、菱櫓から五十間長屋・橋爪門続櫓と続く巨大な櫓群。前田家百万石を象徴する風景です。
橋爪門をくぐって二の丸へ。
1631年の寛永の大火後、中枢機能が本丸から移転し、広大な二の丸御殿が建てられていました。
現在、発掘調査が進行中。復元の計画があるようです。
本丸と二の丸の間にある空堀。現在堀底は、玉泉院丸から二の丸へ抜ける通路にもなっています。
三十間長屋は重要文化財です。工事中でした。
城の中枢が二の丸に移ってからは、本丸はほぼ放置されていたようです。
樹木が茂り、三階櫓などの遺構も判別できません。
戌亥櫓跡から二の丸を望みます。
辰巳櫓跡。
丑寅櫓台は、城内最古級の石垣とのこと。
石材の加工が不十分で野面積みに近く、勾配も緩い。城内の他の石垣とは雰囲気が異なっています。
百間堀に面し、搦手を守っています。
最後に兼六園へ。
舌状に張り出した台地の先端部に位置する金沢城にあって、台地続きとなる南東側は縄張上の弱点です。
百間堀という巨大な堀切でその弱点を補うだけではあきたらず、さらに外郭としてつくられたのが兼六園です。
日本三名園として名高い日本庭園ですが、金沢城の一部としてとらえると違ったことが見えてきそうです。
↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。