カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~松代城~ 【2018.7.14】

松代城千曲川を後背の要害に利用して築かれた真田氏10万石の主城です。
ただし、世間一般としては、武田氏の前線基地として築かれ、川中島の戦いの舞台にもなった海津城という名前の方がしっくりくるかもしれません。
縄張を見ると、千曲川が作り出す湿地帯をうまく利用している様子がよくわかります。
また、大手に造られた巨大な馬出と三日月堀も特徴的です。
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南門の跡から城跡に入ります。
三日月堀が失われ、その跡地に長野電鉄松代駅が作られたり、駐車場や一般住宅が建っているところもあるので、当時の状況を想像するのは、相当困難です。
この南門の跡も土塁や石塁が後付けの単なる土手にしか見えません。
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その向こうに見えるのは太鼓門。本丸の南側にあって、いわゆる正門に当たります。
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ふたつの門が食い違っていて、その間に桝形を形成しています。
太鼓門は古風な感じのする櫓門。2004年に復元されたものです。
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本丸に入ってきました。
それほど大きな敷地ではありません。御殿などは建てられていなかったみたいです。
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本丸北西隅にある、櫓台。天守に相当するような大きな櫓が建てられそうな感じですが、当時はほかの隅と同様の小さめの二重櫓が建っていたとのこと。
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本丸搦手の北不明門は不思議な形です。両袖に石垣を伴っていますが、門自体は二階門で渡櫓になっていません。中に入るときも石垣の上から板を渡すようになっています。
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桝形の外から。石垣は低く、堀もありません。
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先ほどの北西隅の櫓台ですが、北不明門への横矢になっていません。何だか縄張りの詰めが甘いというか、おおらかな感じがします。
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それもそのはず。
搦手口から場外に出てみると、幅が広く今も水をたたえる新堀と畑になってしまった百間堀。さらにその向こうには千曲川。搦手からの敵襲は全く想定できません。
というわけで、これで十分なんですね。
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二の丸との間を区切る土塁とそこに造られた埋門。
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内堀に沿ってぐるりと回ってみます。
先ほどの太鼓門の前を通って、東不明門。
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さらに、石場門跡から城址をでました。
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この後、松代の街を歩き回りましたが、その話は追々。


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