小諸城は駅近の優良物件。
一般には懐古園という方が通りが良いかも。
駅横の跨線橋を渡ればすぐですが、その前に大手門に寄り道しましょう。
明治時代に民間に払い下げられ、その後は料亭や塾として利用されていましたが、平成に入って旧状に復されました。国指定重要文化財。
大手門の前から懐古園へは地下道が通じています。
線路の向こうに見える三之門の屋根が見えます。
目線の高さに三之門の屋根があるように、大手から城の中心部に向かって下っていく地形になっています。
城下町より城内が低地にある独特の縄張から、穴城と呼ばれたりします。
城の背後(西側)には千曲川が流れ断崖絶壁になっており、両側(南北)も深い谷になっていますので、要害の地であることは間違いありません。
ただ、河川が作る断崖を利用した城というのはたくさんありますので、類例は他にもありそうに思えます。
しかし、小諸城以外で穴城と呼ばれる例を私は知りません。無知なだけでしょうか?
地下道をくぐって三之門。寄棟の屋根がどことなく古風な雰囲気です。
三之門の先は二ノ丸に向かって登っていますので、この地点が城内の最低地点だと思います。
二の丸の石垣に沿って進むと、突き当りが二之門。
二之門をくぐると、いくつかの曲輪に分かれています。
これは二の丸。
南の丸。
北の丸を経て、堀切に架けられた算盤橋を渡ると黒門。左に曲がると本丸です。
本丸には現在懐古神社が建てられています。
境内の社務所は城郭風。
本丸を抜けて城の南の端。富士見台という展望台になっています。
眺望がききますので、当時は物見櫓のようなものが建っていたのかもしれません。
本丸の西側。野面積みの石垣が続きます。
奥は天守台です。
天守台には三層の御三階櫓があったようです。
隅に算木積みはみられるものの、勾配は緩く古風な雰囲気。
搦手からは、千曲川の谷を降りていく道があったようです。
これが当時の虎口でしょうか?縄張図を見ると違うようでもありますが。。。
北の端にある水の手展望台。
天然の巨大な堀である北谷。
12月29日、この日懐古園は年末休園日でした。藤村記念館などもすべて休み。
その代わり園内は無料開放されて自由に散策できましたので、城を見るという観点ではむしろ好都合だったかもしれません。
観光客の姿もほとんどありませんでしたし。
この日は、友人たちとともに近くの温泉旅館に宿泊しました。
送迎のバスが来るまで1時間ほどの待ち時間の間、自分の欲望のまま友人を引っ張りまわしました。
個人的には大満足でしたが、、、、すまぬすまぬ。
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