カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

モヨロ貝塚 ~オホーツク文化のきらめき

札幌に宿泊して、4月29日。6:52発のオホーツク1号に乗車します。

 

長らくキハ183系が運用されていましたが、現在はキハ283系4両編成。もともと釧路方面の特急に使用されていた韋駄天で、制御付自然振子式で自己操舵台車を持つなどの複雑な機構と過酷な運用から早期の廃車が見込まれていましたが、意外に状態がよかったということでオホーツクの置き換えに使用されました。

ただ、振子は使用停止、最高速度も抑えられるなど両翼をもがれたような運用はいささかさみしい感じがします。

JR発足以降、旭川、帯広、函館、釧路、名寄と各方面の高速化が行われましたが、結局北見、網走方面の順番は巡ってきませんでした。せめて新型車両を導入して札幌~旭川を速達化すればそれなりの時間短縮が見込める、というのは誰でも思いつくことですが、こういう形での車両の置き換えは不本意という他ありません。

 

遠軽で進行方向が変わります。

 

終点網走には12:12着。札幌から5時間20分もかかりました。

 

乗り換え時間が3時間ほどありますので、網走市内を散策することにします。

定番は網走監獄ですが、バスの本数が少なく難しそう。他の観光地は・・・あまり思い浮かびませんね。流氷の季節でもないですし。

 

というわけで、いろいろ考えた結果モヨロ貝塚にいってみることにしました。

 

 

網走市街を東へ。

 

網走川を渡ります。

 

20分ほどで到着しました。

 

 

モヨロ貝塚縄文時代後期から続縄文時代、さらにオホーツク文化の時代まで使われた集落の跡です。

1913年に米村喜男衛によって発見され、戦中の1936年に国の史跡に指定されました

1947年~1951年に大規模な発掘調査が行われ、その成果は隣接するモヨロ貝塚館に展示されています。

 

本州が縄文時代から弥生時代に移り変わる中、稲作に適さなかった北海道は縄文時代生活様式を継承した続縄文文化が成立しました。その後、本州の土師器の影響を受けた擦文土器を特徴とする擦文文化へと変化し、さらにアイヌ文化と続いていくことになりますが、このあたりのつながりは議論の余地が残っているようです。

一方、北海道や樺太、千島の沿岸部にはオホーツク文化が成立しました。海洋漁猟民族の文化であるそれは続縄文文化や擦文文化とは異質のものとのことですが、後に北海道東部では、擦文文化の影響を受けたトビニタイ文化が独自に発展しました。

このあたりの経緯と分類はとても複雑で私のような素人は理解が追い付きません。両者の文化系統は完全に異質のものですが、同じ土地に住んでいたのは間違いないので、実際には相互に影響を受けていたものと思います。そして、その延長線上にアイヌ文化がある、と考えるのは飛躍し過ぎでしょうか?


本州以南と異なる歴史と文化。日本国内にもこういった多様な歴史や文化があることをとてもうれしく思います。

 

 

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