カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~伊祖城~ 【2020.02.10】

2月10日は、ホテル近くの若松入口からスタートです。
時刻は6時半過ぎ。まだ真っ暗です。

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なかなか夜が明けません。
目的地に着くまでに明るくなるのか!?
と不安でしたが、バスを降りる頃には明るくなってくれました。

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バス停から5分ほどのところにある、伊祖公園へ。

浦添城から続く台地の先端部にあたるここには伊祖城がありました。

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駐車場から一段上がってきました。

公園の整備できれいになってしまっていますが、ここはすでに城内だったようです。

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公園の南側、台地の付け根からアプローチ。
まずは、巨岩に挟まれた城門のような遺構があります。

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そこを抜けると、細い尾根伝いの道。

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左側の斜面の上は、主郭がありました。
道は回り込むように続いています。常に主郭からの横矢がかかる技巧的な縄張ですが、
技巧的過ぎて、グスクらしくないような気がします。

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伊祖神社の参道に出ました。

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主郭にある伊祖神社の本殿。小さな神社です。

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その背後に、かすかに石塁が残ります。

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石塁の上。城内最高所であり、特に西側の眺望がすばらしいです。

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この城の歴史は古く、英祖王の家系代々の居城であったと伝わりますが、地域の拠点城郭のとしては手狭な印象です。
西側への眺望がききますので、浦添城の出城と言われた方がしっくりきます。
もっとも、グスクは戦闘という面だけとらえると大きな勘違いとなるので、注意しないと・・・

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次に行きましょう。

 

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うえのおかちまち 【駅名しりとり252】

上野御徒町東京都交通局

 

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この駅の近くに、「うさぎや」という和菓子の名店があります。
名物のどら焼きは、しっとりとしてモチモチとした皮に、甘さ控えめで小豆の味が濃い餡が絶妙で、銘品と呼ぶにふさわしいもの。どら焼きが有名なお店は数あれど、ここのどら焼きは格が違うと思います。

 

親戚がいる関係で、阿佐ヶ谷にある「うさぎや」のどら焼きはよく食べていました。
両者を比較すると、上野の方が餡の甘みが若干強く、すこし柔らか目という印象。私は食べなれた阿佐ヶ谷の方が好きですが、これは完全に好みの問題ですね。
ちなみに、日本橋うさぎや」のどら焼きは食べたことがありません。こんど挑戦してみようと思います。

 

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雨乞嶽、再び

与那原駅跡から与那原のバス停まで歩いてきました。

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このままホテルに帰る予定でしたが、思ったより早い時間に着いたこと、空を見上げると何とか雨はもちそうだったので急遽予定を変更することにしました。


191番のバスに乗車。鳥堀でバスを降りました。

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ここは、ゆいレール首里駅のすぐそばです。

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住宅街の中を抜けて、

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再びやってきました、雨乞嶽です。

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相変わらず曇っていて風も強いですが、小雨がパラついた昨日よりははるかにましです。
日の入りまで1時間くらいありますので、展望台の一番良いところでその時を待ちます。

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風が強くて寒いので、音楽を聴きながらリズムに合わせて体を動かします。
2/9の夕方、展望台でひとり体を揺らしていた怪しい人は私です。スミマセン・・・
夜景を見に来たと思しきカップルがこっちを恨めしそうな目で見てきます。重ね重ねスミマセン・・・

 

 

景色が白からオレンジ色へ。陽の傾きとともに表情を変えていきます。

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灯がともり始め、やがて夜の帳が街を包み込みました。

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振り返ると、まんまるの月。

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陽が落ちるとともに、気温が下がってきました。変わらず風も強いです。

満足しましたので、ホテルに戻ります。

 

 

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「ケービン」つまみ食い

沖縄の街歩きは楽しくも恐ろしいです。
歩みを進めるたびに、「何とか御嶽」とか「なんちゃらグスク」とか「何々ガマ」が現れて、
そのひとつひとつに立ち寄るのは面白くはあるものの、時間が足りなくなる、というジレンマにおそわれます。

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大里北小学校の手前を右折、サトウキビ畑の間を歩いていきます。

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やがて与那原の市街地に入りました。

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大里城から30分ほどで到着。「与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館」です。

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この建物は、沖縄県営鉄道の与那原駅の駅舎を復元したものです。
鉄筋コンクリート造りの駅舎はこの駅だけだったようです。
建物の裏に並ぶ柱は車止め…ではなくて、基礎の遺構です。

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ゆいレールの開業まで、軌道系交通機関が無かった沖縄ですが、戦前は、那覇を中心にいくつかの鉄道がありました。
その中でも最大の路線網を持った沖縄県営鉄道は、那覇を起点に、嘉手納、与那原、糸満へと3方向に路線を伸ばし、その路線長は50km近くに及びました。
戦争中は軍需輸送にも活躍したようですが、戦局の悪化により運行を休止。
その後のアメリカの占領、戦災からの復興と再開発により、その遺構は破壊され、廃線跡をたどるのが難しくなっています。

 

その中でも、廃線跡が道路になっていたり、橋台が残っていたりなど、いろいろ残ってはいるみたいです。
最もわかりやすいのは、壷川東公園でしょうか?この写真は2018年11月に撮影したものです。
但し、保存されているのは南大東島でサトウキビ輸送に使用されていたもので、レールも沖縄県営鉄道のモノではないようです。

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また、那覇駅跡に造られた那覇バスターミナルには、「仲島の大石」が昔のままに鎮座しています。

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さらには、バスターミナル建て替えの際に発掘された転車台の遺構が、旭橋駅からのびる歩道橋の階段下に移設、保存されています。
この写真は2月10日に撮影しました。

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これ以外にも、那覇空港近くにある「ゆいレール展示館」に展示がある他、地域の博物館や資料館に展示されているものもあるようです。

 

 

終戦後、那覇市内は慢性的な渋滞に悩まされてきました。私もこの渋滞にはまって、バスが1時間近く遅れたこともあります。
もし、この軽便鉄道が生き残っていたら、状況はどうなっていたでしょうか?
現に、採算性が危ぶまれたゆいレールは絶好調。昨年は浦添への延伸を果たし、2両編成から3両編成への増結も計画されているほか、
那覇から名護への普通鉄道も構想されるなど、鉄道の必要性が認知されていることを考えると、
もしかしたら、改軌、電化、延伸されて、高速列車が頻発するような鉄道になっていたかもしれません。
(ま、高度成長期の鉄道冷遇時代を乗り越えることできたら…のはなしですが)

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訪城記 ~島添大里城~ 【2020.02.09】

斎場御嶽から乗車したバスは、南城市内を海岸沿いにぐるっと回って約30分。
馬天小学校前で下車しました。

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先程まで晴れていたのが嘘のように雲が湧いてきて、弱い雨が降り出しました。
昨日もこんな感じでした。この時期の沖縄はスッキリ晴れる日は少ないらしいです。

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途中から歩道がなくなってしまいました。車の往来が思いの外多くて、少し危なっかしいです。

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道の左側にギリムイグスク。

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その先の交差点を右折します。

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チチンガーという巨大な井戸。石積が見事です。

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その背後が島添大里城です。

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グラウンドのような感じですが、ここはすでに城内。
道路から一段下がるような立地ですが、土塁のようなもので囲まれています。
往時は石垣に囲まれていたのでしょう。

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目の前に見える石段を登って、主郭へ。
他の城と同様、沖縄戦の時の陣地構築、戦後の復興の資材として石垣が使われたため、壮麗な石垣は残っておりません。
足下に転がる石と、わずかな土の高まりから当時の姿を想像するのみです。

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主郭に登ってきました。
礎石などの遺構は明確ではありませんが、ここには壮麗な主殿が建っていたとのことです。

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北西隅にある高台。櫓台のような感じです。

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主郭の東側。低いながらも石垣が残ります。

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もう少し時間があるので、ミーグスクへも行ってみましょう。

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台地の東端にあるちょっとした高まりですが、眺望がすばらしい。
大里城の物見として機能したのではないかとのことです。
もしかしたら、西側に眺望が開けたギリムイグスクと合わせて、大里城の出城みたいな扱いだったのではないでしょうか?

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そして、その立地から、沖縄戦の時には高射砲陣地が置かれました。
展望台の下にかすかにその遺構を見ることができます。
(ひどい写真ですが、柵の背後に穴があります)
ちなみに大里城内にも壕や砲台がありました。
現在も残っているとのことですが・・・

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バスを降りたころから降り出した雨は、強くはないものの降ったりやんだり。
おまけに風が強くて、かなり寒いです。
眺望の良いところは風の強いところ。早く山を下りる方が平和に過ごせそう・・・

ということで次に向かいます。

 

 

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