カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

「ケービン」つまみ食い

沖縄の街歩きは楽しくも恐ろしいです。
歩みを進めるたびに、「何とか御嶽」とか「なんちゃらグスク」とか「何々ガマ」が現れて、
そのひとつひとつに立ち寄るのは面白くはあるものの、時間が足りなくなる、というジレンマにおそわれます。

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大里北小学校の手前を右折、サトウキビ畑の間を歩いていきます。

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やがて与那原の市街地に入りました。

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大里城から30分ほどで到着。「与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館」です。

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この建物は、沖縄県営鉄道の与那原駅の駅舎を復元したものです。
鉄筋コンクリート造りの駅舎はこの駅だけだったようです。
建物の裏に並ぶ柱は車止め…ではなくて、基礎の遺構です。

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ゆいレールの開業まで、軌道系交通機関が無かった沖縄ですが、戦前は、那覇を中心にいくつかの鉄道がありました。
その中でも最大の路線網を持った沖縄県営鉄道は、那覇を起点に、嘉手納、与那原、糸満へと3方向に路線を伸ばし、その路線長は50km近くに及びました。
戦争中は軍需輸送にも活躍したようですが、戦局の悪化により運行を休止。
その後のアメリカの占領、戦災からの復興と再開発により、その遺構は破壊され、廃線跡をたどるのが難しくなっています。

 

その中でも、廃線跡が道路になっていたり、橋台が残っていたりなど、いろいろ残ってはいるみたいです。
最もわかりやすいのは、壷川東公園でしょうか?この写真は2018年11月に撮影したものです。
但し、保存されているのは南大東島でサトウキビ輸送に使用されていたもので、レールも沖縄県営鉄道のモノではないようです。

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また、那覇駅跡に造られた那覇バスターミナルには、「仲島の大石」が昔のままに鎮座しています。

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さらには、バスターミナル建て替えの際に発掘された転車台の遺構が、旭橋駅からのびる歩道橋の階段下に移設、保存されています。
この写真は2月10日に撮影しました。

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これ以外にも、那覇空港近くにある「ゆいレール展示館」に展示がある他、地域の博物館や資料館に展示されているものもあるようです。

 

 

終戦後、那覇市内は慢性的な渋滞に悩まされてきました。私もこの渋滞にはまって、バスが1時間近く遅れたこともあります。
もし、この軽便鉄道が生き残っていたら、状況はどうなっていたでしょうか?
現に、採算性が危ぶまれたゆいレールは絶好調。昨年は浦添への延伸を果たし、2両編成から3両編成への増結も計画されているほか、
那覇から名護への普通鉄道も構想されるなど、鉄道の必要性が認知されていることを考えると、
もしかしたら、改軌、電化、延伸されて、高速列車が頻発するような鉄道になっていたかもしれません。
(ま、高度成長期の鉄道冷遇時代を乗り越えることできたら…のはなしですが)

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