大分駅から徒歩約10分。朝の6時位に行ったため、あたりはまだ閑散としていました。
まず目に飛び込んできたのは西丸の二重櫓。さらに奥には東丸の着到櫓も見えていて、城らしい雰囲気です。
最初はここに来る予定ではなかったので、事前調査は殆どなし。
そのため、たくさん建っている櫓のどれが現存でどれが復元でどれが模擬建築なのかということが全く分かりません。
もっとも、全く分からなかったというのは、それだけ風景に溶け込んでいたということなので、別に悪いことではありません。
そのため、たくさん建っている櫓のどれが現存でどれが復元でどれが模擬建築なのかということが全く分かりません。
もっとも、全く分からなかったというのは、それだけ風景に溶け込んでいたということなので、別に悪いことではありません。
東側の神社になっている区画は元々山里丸と呼ばれていたようです。山里といえば大坂城や名護屋城の例を出すまでもなく風流を楽しむ場ですが、ここも茶室や何かが建てられていたのでしょうか。
現在ここには廊下橋が復元されて本丸方面と結ばれています。廊下橋というと、和歌山城や福井城に復元されていますし、二条城や篠山城などにも例があったので今思うほど珍しいものではないのかもしれないと思ったり思わなかったり。
現在ここには廊下橋が復元されて本丸方面と結ばれています。廊下橋というと、和歌山城や福井城に復元されていますし、二条城や篠山城などにも例があったので今思うほど珍しいものではないのかもしれないと思ったり思わなかったり。
北側の土橋から城内に入ると、大分文化会館が鎮座しています。
城郭も観光資源という意識が強くなったせいか、従来城内にあった公共施設を移転させる例が最近多いですが・・・ま、城好きからいうと目障りであることに間違いはありません。
とはいっても、移転するにも町の中心部に十分な土地があるわけありませんので、難しいところですが。
城郭も観光資源という意識が強くなったせいか、従来城内にあった公共施設を移転させる例が最近多いですが・・・ま、城好きからいうと目障りであることに間違いはありません。
とはいっても、移転するにも町の中心部に十分な土地があるわけありませんので、難しいところですが。
現在はひとつの大きな曲輪になっていますが、当時は石垣や堀で内部を区切っていたようです。
縄張図と見比べると良く分かります。
それにしても、仕切りを全て取り去ってしまった現在でも城内はそれほど広くありませんので、当時の本丸はかなり狭かったものと思います。
近世大名の居所としてはちょっと手狭な気がしますが、平時は別の場所に屋敷を構えていたのでしょうか。
縄張図と見比べると良く分かります。
それにしても、仕切りを全て取り去ってしまった現在でも城内はそれほど広くありませんので、当時の本丸はかなり狭かったものと思います。
近世大名の居所としてはちょっと手狭な気がしますが、平時は別の場所に屋敷を構えていたのでしょうか。