カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~彦根城~ 【2014.4.30】

浜松から東海道本線をえっちらおっちら乗り継いで、彦根についたのは12時過ぎ。
彦根駅前は樹木が多いので、緑が目に痛いくらいです。新緑の季節ですね。
駅前の並木道をまっすぐ進むと護国神社。神社を廻り込むと堀沿いの松並木の道に出て、正面には佐和口多門櫓が見えてきます。
とても長大な多聞櫓で両端は二重櫓になっています。
左側は現存ですが、右側は復元されたもので内部は開国記念館になっています。

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佐和口を潜ると左手には現存建築としては貴重な馬屋があります。
内部は薄暗くて、展示用に置かれている馬の模型がちょっと不気味です。

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さらには佐和口多聞の現存部分も内部公開されていましたので、覗きました。

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城の中心部に入る前に玄宮園に行くことにしました。
玄宮園は巨大な庭園で、ここから見る天守はおなじみの風景です。
ここから見る天守が一番均整がとれていて美しいともいいますが、おそらく造園時に借景として相当意識したものと推定します。

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表門から彦根城博物館に入りました。
入口にはひこにゃん登場時間なんてものが書いてあって、人気をうかがわせます。個人的には興味がありません。
この博物館は、表御殿を外観復元する形で建てられたものです。表部分は展示スペースとして内部は博物館としての機能が優先された構造になっていますが、奥は調度も含めて限りなく精巧に復元されており、見ごたえがあります。

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表門から坂を上りたどりつくのは大堀切。空堀の底を道にした狭隘な空間で鐘の丸と天秤櫓からの挟み撃ちにあいます。
さらには鐘の丸に入るところで天秤櫓に背を向けることになるため、さらなる攻撃を受けることになります。
鐘の丸に入れたとしても天秤櫓へは木橋でつながっているため橋を落とされたらそこで終わりです。
このあたりの縄張は彦根城の白眉とでもいうべきところで、堅牢さは類を見ません。

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天秤櫓の内部を見学。
櫓内から鐘の丸はこんな感じに見えています。狙い放題ですね。

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さらに坂を登ると太鼓門です。長押を見せる古風ないでたちで、優雅さすら感じます。
城内側は開けた廊下になっているのも珍しいです。内側と外側で全く印象が異なります。

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そして、天守。全国で4つしかない国宝の天守閣です。
大津城の天守を移築したものという伝承があり、実際、転用材がかなり使われているとのことです。
ただ、私自身はこの天守があまり好きではありません。なんというか…装飾過多ですよね。

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西の丸に抜けて西の丸三重櫓をみます。
同じ3階建てですが、天守とは異なり破風などが全くありません。質実剛健そのものです。
3階からは搦手口を一望に監視することができ、搦手から登ってくる人は全てこの櫓の監視下に置かれることになります。

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搦手から山を下り、そのまま大手の方へ廻り込みます。
途中、彦根城の特徴の一つ、登り石垣も見ることができました。
高い石垣ではありませんが、斜面の横の移動を寸断するという役割は十分に果たせそうです。
当時は石垣の上に板塀がのっていたとのことです。

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さらに進むと梅林。もともとは米蔵が立ち並んでおり、5万石の米が納められていたとのことです。

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彦根城の縄張はかなり守りというか籠城を意識していると思います。
主郭に入る、大手門、表門、黒門、山崎門は全て木橋が架けられているため、橋を落とせば完全に島になりますし、鐘の丸と西の丸の大堀切に架かる橋を落とせば、本丸と西の丸を孤立させることができます。
彦根城の仮想敵は毛利や島津といった西国大名ですので、彼らが押し寄せてきた場合、江戸からの援軍が来るまで耐えに耐えるというのがこの城の戦略だったものと思います。
天下普請でしかも突貫工事で作られたこと、城内に蓄えられた大量の兵糧、そして縄張…この城の性格を如実に示していると思います。


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