2016年4月に発生した地震は、熊本城にも大きな被害を与えました。
そして、その復旧には多大な年月と労力を要するというのは、報道等で伝えられていることです。
あの日から2年4か月が経ちました。
今の熊本城の姿を見に行きます。
そして、その復旧には多大な年月と労力を要するというのは、報道等で伝えられていることです。
あの日から2年4か月が経ちました。
今の熊本城の姿を見に行きます。
8月10日、朝の飛行機で熊本空港に飛び、空港からはバス、12時前くらいに熊本交通センターに降り立ちました。
早速、熊本城に向かいます。
城内は立ち入り禁止。
代わりに城の外周を1周するように見学コースが設定されています。
代わりに城の外周を1周するように見学コースが設定されています。
未申櫓。大きな被害はないように見えます。
しかし、櫓北側の石垣とその上の塀は倒壊しています。
2013年の写真と比較すると一目瞭然です。
しかし、櫓北側の石垣とその上の塀は倒壊しています。
2013年の写真と比較すると一目瞭然です。
西大手門と元太鼓櫓。石垣を含め完全に崩壊しています。
二の丸は石材置き場になっています。石ひとつひとつに識別番号が記載されています。
子どもたちに説明していたガイドさんの話を盗み聞きしたところによると、
崩落した石垣の石の保管場所に苦労している、とのこと。
ついでに、崩れた石垣は明治以降に積まれたところばかり、とも言っていました。本当かどうかはわかりません。
子どもたちに説明していたガイドさんの話を盗み聞きしたところによると、
崩落した石垣の石の保管場所に苦労している、とのこと。
ついでに、崩れた石垣は明治以降に積まれたところばかり、とも言っていました。本当かどうかはわかりません。
戌亥櫓も土台の石垣が崩壊しています。隅にのこった石垣で辛うじて支えている状態。
2013年の写真も載せておきましょう。
2013年の写真も載せておきましょう。
2013年の写真です
平櫓と不開門。平櫓は生き残りましたが、不開門は石垣もろとも崩れてしまい、跡形もありません。
その横の北十八間櫓と東十八間櫓があったところ。
石垣が崩れ、櫓は完全に撤去されています。
櫓の部材は別の場所に保管されていて、復元の際に使用されるとのことです。
石垣が崩れ、櫓は完全に撤去されています。
櫓の部材は別の場所に保管されていて、復元の際に使用されるとのことです。
最後に坪井川沿いを長塀に沿って歩きます。長塀も倒れてしまいました。
まだまだ始まったばかりの復興、元の姿を取り戻すには20年という長い時間がかかることが想定されています。
それでも、できるかぎり忠実、丁寧に戻そうと地道に取り組む姿勢がとても尊いと思います。
残酷なことを言えば、一度失ったものをいくら旧状に忠実に復元したとしても、それは昔と同一のものにはなりえません。
でも、熊本のシンボルとして、心のよりどころとして、復元への歩みをとめることは許されません。
それでも、できるかぎり忠実、丁寧に戻そうと地道に取り組む姿勢がとても尊いと思います。
残酷なことを言えば、一度失ったものをいくら旧状に忠実に復元したとしても、それは昔と同一のものにはなりえません。
でも、熊本のシンボルとして、心のよりどころとして、復元への歩みをとめることは許されません。
1日も早く昔の姿がよみがえりますように。
blogramランキング参加中! ←クリックはこちら。