7:00発のしなの1号に乗車します。
383系は、量産車の登場から28年ほどたち、車内はだいぶ陳腐化した印象。
昨年385系への置き換えが発表されましたが、運用に入るのは2029年度以降とのことです。
10:03長野到着。
改札を出て、長野電鉄の地下駅へ。10:26発の信州中野行に乗車します。
地下線を出て進路を東へと変え、千曲川をわたります。
村山橋は、珍しい鉄道道路併用橋。大正時代に架けられた旧村山橋が併用橋として有名でしたが、2008年に開通した新橋も併用橋として建設されました。
11:14着の信州中野で下車しました。
この日の目的地は、高梨氏館跡です。
高梨氏館は鎌倉時代から戦国時代にこの地域の有力豪族であった高梨氏の居館と伝わります。
高梨氏がこの地を本拠と定めたのは1512年頃のようです。戦国時代には、越後の長尾為景と守護上杉定実の対立、村上氏との抗争のなかで衰退したとのこと。
武田信玄が北信地域へと進出すると上杉方として戦い、川中島の戦いでは上杉方の先鋒も務めました。
その後、独立を失い上杉氏の家臣に。上杉氏が会津、そして米沢に転封になると高梨氏もそれに従い、子孫は米沢藩士として続きました。
東西約130m、南北約100mの方形居館は、虎口が3か所にあります。
下の写真は南側の虎口です。
立派な土塁ですが、発掘調査の結果中から築地塀が見つかったとのことです。
当初は土塁は低く、おそらく堀も狭くて浅かったのでしょう。後から堀を拡張し、その時出た土を盛り上げたものと思います。
郭内。
東の方向を見たところです。
正面の山には詰の城だった鴨ヶ岳城、鎌ヶ岳城がありました。比高300mmほどあるようです。
発掘調査の結果建物跡が8棟検出され、平面表示されています。
そして、一番の見どころは庭園跡です。
庭石があるのみで水がなく枯山水のような趣ですが、水や樹々を想像すると雅な姿が浮かび上がってきます。
東側の虎口。
虎口を出て館の北側を堀に沿って半周します。
西側の虎口です。
最後に土塁の上から。
土塁の高さは2mほどあります。
この地域は高梨氏が去ったあと、江戸時代には天領となりました。
西へ300mほどのところに陣屋跡がありますが、市街地に取り込まれわずかに石垣が残るのみ。
趣のある建物は、1936年に中野町役場として建てられたものです。現在は中野陣屋・県庁記念館として使用されています。
帰りは中野松川駅まで歩きました。
↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。