高崎は城下町です。
そのイメージが薄いのは、築城年代が1597年と比較的新しく、北条氏の拠点城郭だった箕輪城、関東七名城に数えられる厩橋城などと比べると、歴史の表舞台に登場することがないほか、
明治維新後主郭部の改変が著しく、観光地として整備されなかったというのも大きな理由でしょう。
しかし、航空写真を見ると、三の丸の塁線は良く残っているのがよくわかります。
南側は特に良好。土塁の高さは4mほどでしょうか。
曲輪内。
目の前にそびえる高いビルは高崎市役所です。さすが、36万都市。
高崎城は、烏川の河岸段丘を利用した梯郭式の平城でした。
烏川の流れは雄大ですが、城の面影はありません。
堀端に戻って北に向かいます。
すると、高崎城といえばこれ、という風景が現れました。
模擬の石垣上は乾櫓。初重と二重が同一の大きさとなっている小さな重箱櫓です。
往時は本丸にありましたが、維新後農家に払い下げられ納屋として使用されていました。1974年の群馬県文化財指定を機に移築、復元された由。
そして、横にあるのは東門。こちらも農家に払い下げられていたものを移築復元したものです。
高崎城は明治維新後、歩兵第15連隊の駐屯地として利用されました。日清戦争から太平洋戦争まで縦横無尽に転戦し、終戦時はパラオにありました。
御三階櫓の前に兵舎が並んだ高崎鎮台時代の古写真が有名ですよね。
虎口は広い車道に改変されていますが、往時のものと思われる、石垣も。
基本土塁でつくられた塁線ですが、虎口周辺は石垣が使われていたようです。
北東隅。
このまま本町三丁目のバス停まで歩いて、伊香保温泉行のバスに乗車しました。
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