小川城を出て、高原の国道を南へ。
周囲の山々は、冬支度が進んでいます。
道路の交通量は多いですが、歩道が整備されているので安全かつ快適な道中。50分ほどで到着しました。
城跡に行く前にガイダンス施設に寄り道します。
ここでは、縄張図などの資料をもらえるほか、御城印やスタンプ、最寄りのバス停までの地図やバスの時間も教えてもらえます。
まずは、現在駐車場になっている般若郭へ。
城内最大の郭で、発掘調査の結果建物跡が検出されています。
空堀を隔てて二郭、三郭の北側を守る般若郭は、三郭正面の馬出に入る橋を背後から挟撃できる位置にあります。
虎口は西側1か所しかなく、その虎口は三郭から横矢が掛かるようになっており、相互に補う関係。攻撃を受けた際に、お互いの虎口を守るのはもちろん、戦況をみて逆襲部隊を突出させるなど駆け引きすることが可能です。
般若郭をでて、三郭正面の馬出跡にきました。
馬出自体は失われていますが、発掘調査の結果が平面表示されています。かなりコンパクトな馬出です。
豊臣秀吉の裁定によって真田氏のものとなった名胡桃城。1589年、沼田城代猪俣邦憲の強襲により落城しました。このことが秀吉の逆鱗にふれ、翌年の小田原攻めのきっかけとなりました。
名胡桃城は何度か縄張の改修が行われているようです。その中には、秀吉の侵攻を想定した北条氏によるものもあるはず。個人的には、小さすぎる馬出に違和感を感じます。このあたりに北条氏の手が入っているような気がします。
土橋を渡って三郭。
空堀越しに般若郭を見たところ。両郭の位置関係がよくわかると思います。
二郭へは木橋がかかり、食い違い虎口になっています。
事実上本丸として機能していた二郭。中央の通路を挟んで建物が並んでいました。
本郭への虎口も食い違いになっています。
巨大な堀切。
本郭
更に堀切の向こうには笹郭。両側を土塁で挟まれた狭い郭です。
笹郭の先端からは崖の下を流れる利根川を見下ろすことができます。
月夜野大橋の向こうが沼田です。沼田城を直接見ることはできないみたいですが、街の灯は視認できたと思います。
城跡を出て後閑駅へ歩いていきます。
谷川連峰には雪が積もり、冬の装い。
左側の河岸段丘上に名胡桃城があります。
徒歩40分ほどで後閑駅に到着しました。
名胡桃城は国民的な時代小説である池波正太郎『真田太平記』にも登場する著名な城跡ですが、公共交通によるアクセスにはかなり難があります。
オフィシャルには上毛高原から徒歩50分、後閑から徒歩40分です。後閑から沼田に行くバス、上毛高原から猿ヶ京に行くバスを利用すれば1kmくらいは短くなりそうですが、それでも30分以上の徒歩は覚悟する必要があります。
歴史の表舞台に登場し、遺構の保存、整備も良好で、観光地としてのポテンシャルは高いと思うので、せめて土日祝日だけでも公共交通によるアクセスを確保してほしいと思います。
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