カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~天神山城~ 【2024.1.27】

1月27日は夕方から吉祥寺で用事があったので、その前に寄り道。

14時過ぎに仙川駅に降り立ちました。

 

吉祥寺駅行きのバスに乗り換えますが・・・

駅前広場にバス停が見つかりません。

慌ててスマホで調べると、少し離れたところにバス停を発見。

国道20号線を渡って駅から5分ほどかかりました。



新川団地中央というバス停で下車しました。

 

小綺麗な団地が広がります。公園で遊ぶ子供の姿もあり、なかなか活気があります。

 

ここは、仙川がつくる低湿地に囲まれた微高地になっていて、中世には 武蔵七党のひとつ村山党の金子氏の居館があったと伝えられ、また、江戸時代には柴田勝家の孫柴田勝重が旗本として屋敷を構えていたところです。

 

そして、仙川を渡った台地の先端部に天神山城がありました。

 

 

城跡は「新川天神山青少年広場」という公園になっています。

バスを降りてから歩いて10分ほどでしょうか。公園の入口前にはずばり新川天神山青少年広場というバス停があり、仙川駅と三鷹台駅を結ぶバスが通りますが、本数が非常に少ないので注意が必要です。

 

公園化されている台地の先端部は、大きなひとつの曲輪だったように見えます。

ただ、公園を造成する際に改変されている可能性もあるので、当時も同様だったのかは何とも言えません。

 

北東側はわずかですが高くなっています。土塁の跡でしょうか?

 

案内看板によれば、単郭の城だったようです。

戦国時代を通じて使われたとのことですが、仙川の対岸にある鳥屋敷とは時期が重なっているのでしょうか?両者がどのような関係だったのか気になるところです。

 

北西側の斜面は比較的緩やかです。おそらく腰曲輪がもうけられていたものと思います。

仙川は現在の流路より蛇行していて、この斜面の直下を流れていたとのこと。

 

北東側、先ほどの土塁の背後は、堀切になっています。

 

この城最大の見どころでしょうか。わずかに折れを伴っているようにみえます。

単郭の縄張りとすると、虎口はどのあたりにあったのでしょうか?

 

 

小さな城跡ですので、30分もかからず見終えてしまいました。

団地のバス停に戻って、吉祥寺に向かいました。

 

 

 

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