高崎から伊香保温泉行のバスに乗車。城山入口というバス停で下車します。
城跡へは搦手口が近いですが、南側を回って大手口を目指します。
大手尾根口。非常にわかりにくい。
道は尾根を登っていきます。大手馬出が南西の方にあるので、位置関係から大手道に比定されているようです。
腰曲輪を見ながら標高を上げていきます。
ひっきりなしに蚊の襲撃があって辟易しました。
土橋と虎口。
2016年に復元された郭馬出西虎口門が見えました。
馬出前の木俣という曲輪からみる城下町。比高40mほどとのこと。
大手前の角馬出は、箕輪城のハイライト。そして縄張上の要でもあります。
巨大な横堀が堀切となって台地を分断しており、大手からも搦手からも、この馬出に導かれるようになっています。
馬出を二の丸から。土橋を守る橋頭堡として機能することがよくわかる他、もし侵入を許した場合も、二の丸側から弓や鉄砲で殲滅できるサイズ感です。
二の丸。
本丸ではなく、三の丸へ。
西面の壁には石垣が使われています。虎韜口から登ってくるとこの石垣に突き当たるので結構重要。
箕輪城は北条氏滅亡後、井伊直政によって改修されましたが、この石垣もその際に築かれたものでしょうか?
段々に削平された曲輪が続きます。
蔵屋敷と名付けられた曲輪からは木橋がかかります。2022年に復元された木橋は新築の木の香りが漂ってくるかのよう。
ただ、横矢がかからないこの虎口は縄張的に若干「甘い」ように感じられます。有事の際は橋を落とす前提だったのでしょうか。
橋を渡った本丸西虎口門も復元されるようです。
本丸。土塁が囲んでいます。
本丸の北側の御前曲輪。本丸の背後にあって天守曲輪や詰の丸のような役割だったと案内板にありますが、果たして。
ここには、いろいろな石碑とトイレがあります。
城内に何か所か設けられているトイレはバイオトイレになっており、便器の底が見えない感じで少しおっかないです。
搦手口に降りてきました。
ここには駐車場があるので、車の人はここを目指してくるのがよさそう。
長野氏時代はこちらが大手だったという説があるようです。馬出があったようですが、痕跡はつかみにくくなっています。
新曲輪と呼ばれる外郭部を北へ。
稲荷曲輪への虎口。
更に堀底を進むと、丸馬出があります。堀が埋められててわかりにくいですが、かすかに馬出の形状を感じることができるでしょうか。
北条氏の城に丸馬出は珍しいので、築造された時期は議論の余地があるのかもしれません。
龍門寺というバス停まであるきます。
この日は空に小さな雨雲が漂っていて、弱い雨が降ったり止んだりするというヘンな天気。でも徐々に空が明るくなって陽がさしてきました。
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