カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~上田城~ 【2023.9.30】

千曲川の段丘崖に拠って築かれた上田城

徳川の大軍を2度退けたことで、真田氏の城として認識されています。

 

実際、始発の新幹線で降り立った上田は、圧倒的な「真田推し」。

 

 

ただ、真田氏の上田城関ヶ原の戦い後破却されており、真田信之は三の丸の跡地に新たに居館を築きました。

現在の上田高校がその跡地。

真田氏転封後も使用され、堀と土塁、表門と塀が残ります。

 

そしてその北側に古屋敷と絵図に記載のある屋敷跡があります。

現在は上田市清明小学校になっています。

 

 

二の丸の堀端、東虎口に出ました。

 

城内に入る前に、堀底に降りてみます。

 

堀底は現在遊歩道になっていますが、1972年までは上田交通真田傍陽線が走っていました。

上田と旧真田町の真田と傍陽を結んでいた15.9kmのローカル私鉄。傍陽から松代を結ぶという計画もあったようです。

 

ホームのように見えるのは公園前駅跡です。

橋には碍子が残っています。



遊歩道を通って、城の北側へ。

 

陸上競技場は堀の跡を利用したもの。

巨大な堀は矢出沢川の旧河道を利用した結果だと思います。

 

水位調整に使われたのか、石樋が残っています。

 

土橋の先にある北虎口は枡形の石垣が残ります。

仙石忠政による再建の際に虎口付近には石垣が築かれましたが、二の丸の虎口で石垣が残るのは北虎口だけです。

 

本丸の堀端に出ました。

北東隅が欠けているのは、鬼門除けです。

 

本丸東虎口。

南櫓、北櫓の2棟の二重櫓は、市内の遊郭に使用されていたものを1949年に移築復元されたもの。櫓門は1994年の復元です。

 

本丸内は真田神社があって手狭な印象。

 

本丸北側は土塁が巡ります。

 

本丸には7棟の二重櫓がありましたが、虎口付近の4棟以外は土塁の上に直接建てられていたとのことです。

 

西櫓と西虎口。櫓台以外の石垣が失われています。

 

 

二の丸西虎口跡。他の虎口と同様、石垣が築かれ、枡形になっていました。

 

野球場も堀跡を利用したもの。先ほどの陸上競技場と合わせてみると、その巨大さに驚かされます。

 

西虎口を出たところが小泉曲輪。遺構はほぼありません。

 

さらに西側にある上田高校のグラウンドも堀の跡です。

 

堀跡の西端には人工的な土手のような地形がありました。谷をせき止めて堀にするために築かれたものでしょうか?

 

最後に尼ヶ淵の崖下から。

千曲川の河道が変化して、現在は公園と駐車場になっていますが、当時は千曲川の分流が石垣を洗っていました。

 

自然の崖と石垣が複雑に組み合わさっていますが、もろく崩れやすい崖を補強した結果とのことです。

 

 

上田駅に戻って、10:25発の草津温泉行のバスに乗車します。

 

真田を通って鳥居峠を越えるこのバスは、上田から岩櫃へ抜ける、真田氏が最も重視した街道そのもの。

 

古に思いを馳せます。

 

 

 

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