豊後森駅に戻って、10:25発のまちなか循環バス(リラッくすばす)西回りに乗車。終点のわらべの館前で下車しました。
森藩久留島氏陣屋跡を通り抜けます。1601年に築かれた陣屋で、庭園が古の姿を伝えます。
庭園の背後からのびる、御長坂という石畳の坂道。一直線に続いています。
道が折れた先には立派な石垣。堅牢な城郭のようですが、石垣の上には末廣神社。
ここまでの土木量は陣屋というには過ぎたもののようですが、城持ち格ではなかった久留島氏の城を持つことへのこだわりがあらわれているとか。
末廣神社の背後に登山道がありました。
角埋山への登山道。斜面を直登するまっすぐな道が斜面を登っていきます。
よく見ると、斜面には切岸と腰曲輪のような地形が見て取れます。崩れた石垣のようなものも。
徒歩20分ほどで二の丸下に到着しました。
続100名城に指定されている角牟礼城は、角埋山576mに築かれた山城です。
築城は1280年頃とのことですが、現在の姿が整ったのは戦国時代。1586年の島津氏の侵攻を耐え抜いたことで難攻不落の城とたたえられました。
そんな角牟礼城でもっとも有名な景色と思われる、大手門跡と伝わるスロープ。
大手門を抜けると水の手曲輪。石垣に囲まれた巨大な井戸の跡が残ります。
二の丸へ。
西側の虎口。強固な枡形になっています。縄張図にはこちらを大手と記載しているものがありますが、はたして。
本丸へ直登するルートは通行止めでした。
この城は石垣が有名ですが、縄張面では、帯曲輪と切岸に特徴があります。
二の丸から先は地形が緩くなりますが、帯曲輪と切岸を連続させることで、緩斜面を徹底的につぶしています。
その曲輪群のひとつに鎮座する角埋神社。
東のはずれには、展望所があります。城下町が一望の下に。当時も櫓があったのではないでしょうか。
本丸に到着。石垣の修復が行われていました。
大手門跡まで戻って三の丸の方へ。
途中の斜面には明瞭な竪堀を見ることができます。
三の丸跡は駐車場になっています。
帰りは林道経由で。新緑が心地よいです。
帰りのバスまで1時間くらいあります。駅まで急いでいけば予定より1本早い列車に乗れそう・・・というわけで駅まで歩いてしまいました。
今になって思えば、陣屋後に戻ったり、博物館に行ったり、城下町を散策したりすればよかったと思いますが、その時は考え付きませんでした。
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