カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

平塚神社、平塚亭、そして内田康夫のことなど

昨日の話の続きです。

尾久の「ふれあい鉄道フェスティバル」の会場を後にして、上中里駅まで歩いてきました。

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さらに、駅前の小高い丘の上にある平塚神社にいってみます。

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平塚神社のホームページには神社の由緒が簡潔にまとめられています。
長くないので引用してみましょう。

平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
徳川の時代に、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得、将軍徳川家光の近習となり立身出世を果たしました。その後家光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願しました。将軍の病気はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復しました。家光も五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、自らもたびたび参詣に訪れました。
http://hiratsuka-jinja.or.jp/index.html

このことからもわかる通り、平塚神社は平塚城という城跡でもあります。
近年発掘調査が進み、その全貌が徐々に明らかになってきているようで、神社の入り口付近に看板もあります。

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唐突ですが、内田康夫という推理小説家がいます。その小説には平塚神社を含むこの界隈の描写がよく出てきます。
特に浅見光彦シリーズでは、浅見光彦の住所がこのあたりに設定されていることもあって、その描写はとても細かくて繊細です。

私が初めて読んだのは「白鳥殺人事件」でした。父が推理小説好きで、内田康夫の本も実家にたくさんあったのですが、その中から白鳥殺人事件を選び取った理由はよくわかりません。
でも、それがとても面白くて、片っ端から読み漁りました。
20年くらい前のことかと思います。

アサミストと呼ばれる人たちのようにのめりこんだわけではありませんし、軽井沢に出かけていくこともありませんでしたが、「十三の冥府」くらいまではすべて読んでいると思います。(以降はちょっとあやしい)
その中でも、一番好きなのは「白鳥殺人事件」です。
「透明な遺書」「鐘」「長崎殺人事件」「札幌殺人事件」も面白くて何度か読み返した記憶があります。
津軽殺人事件」「箱庭」「沃野の伝説」「江田島殺人事件」「漂泊の楽人」…印象に残っているものを挙げればきりがありません。

内田康夫はプロットを作らずに執筆するそうなので、練り上げられたトリックで読者をも騙しにかかるような一般的な推理小説からみれば亜流といえるかもしれません。
でも、「推理小説はこうあるべきだ」とか「本格推理小説はこうだ」みたいな形式に凝り固まった挙句、独りよがりで読者を放ったらかしてしまうようなものも多い中で、
小説としてしっかり読める推理小説というのは唯一無二だと思います。

最近は推理小説を読むことが少なくなりましたが、時々あの世界に戻りたくなります。


平塚神社の前には平塚亭という和菓子屋があります。
ここも浅見光彦シリーズで頻繁に登場するところですので名前を聞けばわかる人も多いはず。
浅見光彦が家族に見られたくない来客や聞かれたくない話をするためによく使っていたところですよね。
小説の雰囲気そのままに健在なのがとてもうれしいところです。

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お団子と豆大福、どら焼きを買って帰りました。

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