カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~小川城~ 【2023.12.1】

12月2日の決戦に備えて、12月1日は有休をとっていました。

静岡のホテルも予約して準備万端だったのですが・・・なぜかフリーになってしまいました。。。

 

せっかく休みを取ったので、上越新幹線に乗車、上毛高原駅に降り立ちました。

 

8時前の高原の駅はピリッとした冷たい空気に包まれていました。体感的に都内とは10℃くらい違う感じがします。

 

この日の最初の目的地は小川城です。

駅から5分程でした。



小川城は利根川がつくりだした河岸段丘にあって、段丘崖と2本の沢に挟まれた要害の地にあります。

段丘面を隔てる堀切は巨大で圧倒されました。

 

堀切は屈曲しており、主郭からは北側が張り出している構造。現在の遊歩道が当時の導入路を踏襲しているとすれば、強力な横矢がかかることになります。

 

主郭は東西に長細い形状。

 

北面にはかすかに土塁のような構造物が。石積みは当時のものでしょうか?

 

主郭を奥へ。

 

段丘の先端部、主郭から2mほど段差がついています。笹曲輪とでも呼ぶべきでしょうか?

 

樹木の間からは崖下に利根川流れが。



現在、主郭のみがのこる小川城ですが、段丘面を横堀で区切って二郭、三郭が広がっていました。

国道の建設と区画整理により遺構はほぼ確認できません。

 

かすかに凹んでいるところが堀跡でしょうか?

 

 

小川城は、1492年に沼田景久によって築城されたと伝わります。その後上杉、北条、真田の三つ巴の争いに巻き込まれますが、最終的には豊臣秀吉の裁定により沼田城とともに北条氏のものとなります。このときに、名胡桃城が真田氏のものとなったことがのちの事件につながりました。

地図を見ると、沼田城と小川城を結ぶライン上に名胡桃城が突出しており、北条氏にとっては目障りな存在だということがよくわかります。

 

このあとは、事件の舞台となった名胡桃城へ向かいます。

 

 

 

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