私が端島(軍艦島)のことを知ったのは、草野唯雄『寝台特急「はやぶさ」は止まった』という推理小説でした。
初版が1982年ですので端島炭鉱閉山から8年、世間から忘れられつつある存在として物語終盤の舞台となりました。
その後、廃墟ブームもあって、知る人ぞ知るという存在でしたが、定期船はなく立ち入りも制限されていました。
2009年に見学通路が整備されツアーによる上陸が解禁され、2015年には「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されたことで一般化した印象です。
現在は複数の会社が上陸ツアーを開催しており、観光シーズンには予約が取れないこともしばしば。
ちなみに、ネットで検索するといろいろな比較サイトが出てきますが、軍艦島への上陸条件および見学エリアは条例で決まっているようなので、大きな差はなさそう。
時間や値段、船、ガイドなどのオプションで選ぶのがよさそうです。
13:20に出航。
三菱重工業の長崎造船所を見ながら長崎湾内を進みます。
女神大橋をくぐり外洋へ。
高島が見えてきました。
高島も炭鉱の島です。1978年に閉山しましたが、今も400人弱の人が住んでいます。
小さな島に林立するアパート群がその歴史を物語っているようです。
中ノ島を越えると軍艦島が見えてきました。真っ黒な姿が異様です。
軍艦島という通称はシルエットが戦艦土佐に似ているところからきています。
草木の乏しい無機質な外観と相まって、確かに船のように見えます。
この日は午後になって風が出てきたので心配しましたが、無事に上陸。
そのまま、第1見学広場へ。
ベルトコンベアの橋脚が等間隔に並んでいるのが目立ちます。
最も奥の建物が端島小中学校です。
立ち入りが許されているのは、島の南側につくられた3つの見学広場とそれを結ぶ見学通路のみです。
第2見学広場。
命の階段とよばれた第二竪坑坑口の階段と総合事務所。総合事務所には浴場がありました。
島の中心に立ち入ることはできませんが、それでも、全島廃墟という圧倒的な存在感に圧倒されます。
でも、夕張や三笠、池島で感じたような寂寥感は感じません。
天気が良いから?それとも人が多いから?
閉山後も人が住んでいる地域と、閉山後無人となった軍艦島という「人々の営み」の差が大きいように感じます。
人が住み続けていながら衰退のサイクルから抜け出せない地域と、一度断絶したものの遺跡として脚光を浴びる軍艦島。
継続と断絶、本来はネガティブなはずの後者のプロセスを経たことが印象の違いにつながっているようです。
第3見学広場。
正面は1916年に建設された日本初の鉄筋コンクリート造アパートである30号棟です。
島の滞在時間は45分ほど。かなりあわただしいですが、せかされるように船に戻りました。
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