一国一城令の下でも、仙台藩は領内に支城群を維持していました。それらの支城群は「要害」という名前で呼ばれています。
そんな要害のひとつ、涌谷要害に行ってみました。もっとも、最近は涌谷城と呼ぶ方が多いようですが。
そんな要害のひとつ、涌谷要害に行ってみました。もっとも、最近は涌谷城と呼ぶ方が多いようですが。
涌谷駅から5分ほど歩くと江合川を渡る橋に出ます。
橋の上から見た涌谷城です。
江合川を天然の要害とした縄張が良くわかります。
右の方の2つの白い建物があるのが二の丸、左のこんもりとした緑の濃い木立が本丸です。
2つの白い建物のうち大きい方は郷土資料館。城郭風の建物ですが完全な模擬建築です。
小さい方は太鼓櫓。宮城県で唯一の現存する城郭建築だそうです。
橋の上から見た涌谷城です。
江合川を天然の要害とした縄張が良くわかります。
右の方の2つの白い建物があるのが二の丸、左のこんもりとした緑の濃い木立が本丸です。
2つの白い建物のうち大きい方は郷土資料館。城郭風の建物ですが完全な模擬建築です。
小さい方は太鼓櫓。宮城県で唯一の現存する城郭建築だそうです。
さらに5分ほど歩いて二の丸のふもとに出ました。
入口には涌谷神社の鳥居があって、石垣を回り込むように道が続いています。
左側の石垣は後世に積まれたものです。一応城郭風に見せていますが石の積み方が汚いので興ざめです。
そして右側が現存遺構の石垣。この石垣、張り出していて今にも崩れそうです。
修理しなくて大丈夫でしょうか?
入口には涌谷神社の鳥居があって、石垣を回り込むように道が続いています。
左側の石垣は後世に積まれたものです。一応城郭風に見せていますが石の積み方が汚いので興ざめです。
そして右側が現存遺構の石垣。この石垣、張り出していて今にも崩れそうです。
修理しなくて大丈夫でしょうか?
そして、本丸の北東側。
腰曲輪になっていて、その先は崖です。
舌状の台地に築かれていることが良くわかります。
腰曲輪になっていて、その先は崖です。
舌状の台地に築かれていることが良くわかります。
時間がないので郷土資料館はパス。
足早に駅に戻りました。
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