カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~田原城~ 【2017.10.1】

大阪に1泊して10月1日、大阪上本町7:50発の近鉄特急で鳥羽に向かいました。

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鳥羽水族館横のフェリー乗り場から伊勢湾フェリーに乗船。
このフェリーターミナル、どこかで見覚えがあります。たしか、タモリ倶楽部できましたよね。2015年くらい。

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フェリーで1時間弱。伊良湖に到着しました。

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さらにバスを乗り継いで、田原萱町というバス停に降り立ちました。

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原城はここから歩いて10分ほど。県道28号線(通称田原街道)を北の方にまがりました。
すると、怪しげな城郭風の建物。田原市報民蔵と書いてあります。

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横にあった看板を読むとても由緒のあるものだということがわかりました。
建物はもちろん当時のものではありませんが、精神は生きています。
現在は大規模災害に備えた備蓄倉庫となっているとのことです。

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加えてこの場所は、田原城惣門と呼ばれるいわゆる大手門があったところです。
報民蔵横の石垣はその遺構であるようです。
その先は道がクランク状に曲がっていて、ここが虎口の跡であることを教えてくれます。

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藩校の成章館の跡に建てられた田原中部小学校を左手に見ながら進むと、突如目の前に水堀が現れます。

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そして、土橋の先には復元された桜門。復元とのことですが、どこまで旧状をとどめているのでしょうか?

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門をくぐって右手が三の丸。現在は護国神社が建ちます。

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目を移せば、田原城で一番有名な建造物。田原城というと必ず出てくる二の丸櫓です。
内部は田原市博物館の収蔵庫として使用されているとのことです。

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それにしても不格好な建物ですね。横の看板にのっていた古写真を見ると、下見板張で小ぶりながら姿かたちの良い端正な建物だったようですが、なんでこうなってしまったのでしょうか?

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すぐ横には、田原市博物館の母屋。一応城郭風の建築ですが、かえって雰囲気を壊してしまっているように思うのは私だけでしょうか?
Wikipediaによれば、この博物館を造る際に多くの遺構が破壊され失われたとのこと。何だか本末転倒ですが、全国的によくあることだという気もします。

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本丸へ向かう道は土橋になっており、その両側は結構立派で深い空堀になっています。
堀底に降りるとこんな感じです。

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本丸は巴江神社になっています。境内はきれいに整備されていて、逆に言えば遺構はかなり破壊されてしまっているように思いますが、それでも土橋横に土塁がのこっていました。

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そして本殿の背後に回り込むと、同じように土塁の高まりを見ることができます。

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小さな城ですので、あちこち歩き回っても1時間ほど。
三河田原駅まであるいて豊橋鉄道に乗車。豊橋から新幹線で帰りました。

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