カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

大牟田市近代化遺産めぐり (三池炭鉱)

8月11日の話です。
熊本に1泊した私は、熊本8時過ぎの列車で大牟田にやってきました。
大牟田というと、福岡県南端の都市で鹿児島本線の主要駅のひとつという認識しかありませんが、
三井三池炭鉱という言葉が出ると印象が変わってきます。そう、大牟田は炭鉱の町だったのです。

大牟田に降り立ったのは9時過ぎ。
事前に観光協会のHP(http://www.sekoia.org/)から印刷しておいたガイドマップに沿って歩き始めました。

まずは、大牟田市役所本館。駅のすぐそばにあります。
とても重厚な建物で、言い方を変えれば威圧感があります。

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市役所の裏側にある公園(笹林公園)に向かいます。ここには、三池炭山創業碑というのがあります。
ま、いわゆる石碑なので見て終わりです。

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公園を後に東へ約10分行くと、高い煙突が見えてきます。
宮浦坑という坑口があったところで、現在は宮浦石炭記念公園になっています。
ここには斜坑をおりるための人車が展示されています。救護車などもあってなんだか生々しい感じです。
また、坑内で使用されていた各種機械も展示されています。

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ただ、この公園で最も興味深いものは背後の柵の向こう側にあります。
そう、旧三井三池鉄道、現在の三井化学専用線です。
1891年に開業し、石炭を三池港や旧国鉄大牟田駅へ輸送する役割を担っていました。
一時期は旅客輸送をしていたこともあり、63型電車の車体を使用した客車が凸型電気機関車にひかれる風景をYoutube等検索するとみることができます。
閉山後も三井化学専用線として一部が生き残り、古豪の凸型機関車が動き回る光景を見ることができます。
柵の隙間からのぞいていると、すぐにえんじ色の機関車がやってきました。

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さらに、寄り道して踏切まで行ってみると、稼働している形跡のない機関車を3両発見しました。
どれも味のある形をしています。
まだ車籍はのこっているのでしょうか?それとも廃車済?
解体されないということは、部品取り用にでもなっているのでしょうか?

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10分くらい歩いて、早鐘眼鏡橋へ。入口には扉があって鍵がかかっています。
近くの酒屋で鍵を保管しているので見学希望の際には取りに来い、と書いてあります。
が、面倒くさいので柵を乗り越えてしまいました。。。
早鐘眼鏡橋…江戸時代に作られた水道橋だそうです。眼鏡橋とついていますが、一連のアーチ橋のため、どう眺めてもメガネにはなりません。

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三井三池鉄道の廃線跡に沿ってさらに南へ進みます。
途中、さび付いた跨線橋を発見。レールが使用されています。

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前を見ると大きな櫓が見えてきました。宮原坑です。

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宮原坑にはボランティアガイドの方たちがいて、単独行の私にも声をかけていただきました。
そして「それでは説明しましょうか」っていう感じでマンツーマンで説明してくれました。
曰く、
・この櫓は鋼材を含めすべてイギリス製であること。
・デビーポンプというポンプを使用して排水していたこと。
・立坑は効率が悪いため、斜坑の宮浦坑などができるとここからの入坑はなくなったが、非常時と点検用と排水用に機能が残されていたこと。
・巻上機は当初蒸気機関であったが、昭和8年に電気に切り替えられたこと。モーターは三井三池製作所製。etc.…

説明を聞くのに忙しくてあまり写真を撮れませんでした。。。

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このあとはどこに行くの?と問われたので、三池集治監を見に行くと話したら
そこまで案内していただけることになりました。
みちすがらさらにいろいろ教えていただきました。
曰く
・ガイドの控え室になっている建物はもともと職員住宅で、同じような建物が並んでいた。鉄筋コンクリート製で当時からすれば破格の居住環境だった。
・囚人の強制労働は昭和5年まで続いた。刑期を終えた囚人の中には炭鉱労働者としてそのまま残る者も多かった。
・坑内の排水はそのまま大牟田川に流していた。その後沈殿池が作られ一度そこに貯めてから流すようになった。
・地下水を排水し続けた結果地下水位が下がり、市内の井戸が枯れてしまった。その補償として水道を整備し、水道代は無料となった。
・廃坑になり地下水位が戻ったため、大牟田市は水道の有料化を計画中。しかし、いまだに井戸を維持している家などあるわけなく、住民は大反対をしている。
・廃坑になるときには水を入れて坑道を埋めた。
大牟田市の人口は廃坑後減少を続けた。おまけに高齢化率が高い。
・昭和40年の甲子園で三池工業高校が初出場初優勝。その時の監督が原貢氏だったこと。etc.…

三池集治監は現在高校の敷地になっており、塀のみが現存しています。レンガ積みのとても重厚な塀です。

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万田坑にも行ってみたかったですし、廃線跡ももう少し歩きたかったのですが
あまりの暑さに負けてそのまま大牟田駅に戻りました。
この後、北九州にサッカーを見に行ったわけですが、福岡までは西鉄電車にのってみました。

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最後になりましたが、私のために1時間近くも熱心に説明してくださったガイドの方に感謝します。
ありがとうございました。


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