カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

旧国鉄志免駅と志免鉱業所竪坑櫓

鳥栖でサッカーを見た後は博多まで移動して宿泊しました。

翌8月12日は、博多バスターミナル7:44発のバスに乗車、下志免で下車しました。

イメージ 1


バス停から歩いて5分ほどで志免鉄道記念公園に到着。

イメージ 2


ここは旧国鉄勝田線の志免駅跡です。
勝田線は、吉塚から筑前勝田までの13.8kmの路線でした。途中の宇美駅は現在も営業する宇美線と離れており、「同一駅でありながら乗り換えるときに改札を出なければいけない駅」として浜川崎駅とか旧石巻駅と並んでその筋の人々の間では有名でした。
元々糟屋炭田の運炭路線として建設されたため、炭鉱の衰退とともに輸送量が減少し、1985年に廃止になりました。
しかし、沿線は福岡都市圏の外周部にあたります。宇美線のように増便や新駅の設置など進めていれば違った未来が開けていたかもしれません。
現在、自家用車と路線バスが住民の足となっています。

公園にはホームとレールがのこります。
駅跡の中央部を道路が貫いていますが、これは致し方ないところかと。

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6


駅の先の方も緑道として整備されているようです。

イメージ 7


余談ですが、志免駅とJR香椎線酒殿駅の間には連絡線がありました。京都と博多を結んだ特急「かもめ」の方転に使用されていたとのことです。
その廃線跡は、現在も地図上で明瞭にたどることができます。築堤や橋台などの遺構もあるようです。
そのことをしっかり調べていれば、このあと酒殿駅まで歩くという選択肢もあったのですが・・・


公園の周りは住宅が立ち並んでいます。
その屋根越しに、鉄筋コンクリート造の巨大な廃墟――志免鉱業所竪坑櫓が見えます。

イメージ 8


志免鉱業所は糟屋炭田の中の炭鉱の一つで、採炭開始から閉山まで一貫して国営だった日本唯一の炭鉱として有名です。
特に、終戦までは海軍直轄の炭鉱として運営されていたことが特筆されます。軍港に近く、良質の無煙炭を多く産出したことが、そのような歴史を歩むことになった理由かと思います。
そのシンボルであった竪坑櫓は1943年に完成し、重要文化財かつ近代化遺産に指定されています。

イメージ 9


周囲を一周してみましょう。

イメージ 10

イメージ 11


よく見ると風化がかなり進んでいて、コンクリートが剥がれ、鉄筋がむき出しになったところが至る所にあります。
崩落の危険があるのか、櫓の周囲は半径40mほどのところで柵がされており、立ち入り禁止になっています。
ただし、道路や駐車場があったところに強引に柵を作った感じなので、昔はもっと近くまで行くことができたみたいです。

イメージ 12

イメージ 13


どんどん行きます。

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17


ちなみに、櫓の背後に見える緑はボタ山だそうです。このときは全く意識していませんでした。

イメージ 18



竪坑櫓以外にも遺構があります。

第五坑西側坑口。

イメージ 19


第八坑連卸坑口。

イメージ 20


第八坑扇風機坑口という看板も見つけましたが、坑口自体は平成12年に撤去されてしまったとのことです。


その後、歩いてJR香椎線の須恵駅へ。炎天下でしたが、30分もかからず到着。
このあとは、田川に向かいます。

イメージ 21




↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。
https://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif
にほんブログ村 旅行ブログへ(文字をクリック) ←クリックはこちら。

blogramランキング参加中! ←クリックはこちら。