カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

博物館動物園駅、寛永寺坂駅

京成上野駅と日暮里駅の間にはかつて2つの駅がありました。
博物館動物園駅と寛永寺坂駅です。
今日、東京国立博物館に行った帰りに、この2つの駅を訪ねてみました。

博物館動物園駅は東京国立博物館前の道を西に2分ほどいった交差点にあります。
ちょうど上野公園の北のはずれに当たります。
目の前には旧東京音楽学校奏楽堂、すぐそばに黒田記念館があります。
駅の建物は西洋風の外観をもつ重厚なもの。
壁と扉がつけられていますが、建物自体は往時と変わっていないようです。

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駅自体は1997年に営業が休止され、2004年に正式に廃止になったとのこと。
ホームが4両分しかなく、しかも上野駅に近いため利用客が少ないことが廃止の理由となりました。
晩年は普通のうち4両編成の列車のみがランダムに停車するだけで、おまけに終電が18時台というとんでもないダイヤになってしまっていました。
しかし、駅自体は今も資材置き場や非常口として活用されてようで、車窓からも確認することができます。

上野公園は博物館や美術館が集まり多くの人が行きかうところです。
特に国立博物館などは上野駅から歩くと少し距離がありますので、回遊ルートとしてうまく組み込むことができれば、この駅も生き延びることができたかもしれない、なんて思ったりしました。


博物館動物園駅から歩いて5分程度。上野中学校の横をぬけて寛永寺坂駅跡にも行きました。
上野桜木二丁目の交差点の角がそれにあたります。
Wikipediaによれば、寛永寺坂駅は1933年に開業したが、戦時中に休止。戦後再開したものの、1947年には廃止になったとあります。理由は、トンネル出口の勾配途中にあるため発着が困難になった(おそらく戦後の物資不足で線路、車両とも整備が行き届かなかったからだと思います)というのと、利用客の減少によるものだそうです。
敷地は現在、台東倉庫という会社が事務所として使用していますが、建物そのものは当時のものです。

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写真の右側、シャッターでふさがれているところと、その横の斜めになった白い壁の部分が駅の入口でした。
(転載はしませんが、「寛永寺坂駅」で検索すると現役当時の駅舎の写真が出てきますので見比べてみてください。
柱が丸く装飾性があることから、壁が後から増築されたものであることがわかります。

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駅前広場は駐車場になっています。その端に国旗掲揚台が残っています。
「紀元二千六百年記念」の文字と「昭和十六年十二月八日」(太平洋戦争が始まった日ですね)の日付が記載されており、当時のものだと判別することができます。

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さらに裏に回ると不自然な形の屋根があってシャッターでふさがれています。その部分だけ道路がヘンに盛り上がり、さらに対面には同じようなシャッターでふさがれた建物がありました。

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家に帰ってから、航空写真をみると道路を挟んだ二つの建物が一直線に並んでいますので、その部分にホームへの連絡通路があったはずです。
ただ、昔の写真を見ると地上部にそのような通路の存在は見えませんので、おそらく駅舎に入ったらすぐ階段で地下に降りるようになっていたのだと思います。
(その考えると、駅舎の屋根の途切れかたが不自然ですし、道の反対側に建物が続いているのも何だか釈然としませんが)
ただ、線路自体も土被りが浅いところをとおっていますので、連絡通路も深くすることができす、結果として少し道路を持ち上げるようになってしまったのでしょう。

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※写真はgoogle mapより。


寛永寺坂駅はもちろんですが、博物館動物園駅も乗降したことはありません。
いろいろな方がブログ等で書かれているのを拝見すると、独特で不思議な空間だったようです。
行けないとなると行ってみたいというのが人情ですが、一般人の私にはそれは叶いません。
でも、地下の構造物は撤去が難しいので痕跡は明瞭、車窓から観察することができます。こんど乗車した時には気を付けて見ようとおもいます。

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※地図はgoogle mapより