カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~島原城~ 【2012.4.29】

九州新幹線指宿枕崎線に乗った翌日、熊本港からフェリーで島原外港へ渡りました。
有明海の上は靄がかかっていて視界が広くはありませんでしたが、
それでも近づいてくる雲仙の山々の異様な山容を望むと何となく胸が痛くなってくるのはたぶん噴火の記憶があるからだと思います。

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島原外港からはバスに乗って大手というバス停で下車。1~2分歩くと島原城の内堀の堀端に出ます。
深くて広い水堀と折れを多用した技巧的な高石垣…見事の一言に尽きますが、同時によく言われる通り4万石には過ぎたるものに思えてなりません。

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城へは西側の土橋を渡って入りました。
駐車場の入口になっているので車がひっきりなしに出入りしています。
本丸は高台なので、かなりの急坂です。枡形っぽいクランク状の坂を登ると目の前に天守があらわれました。

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何とも不思議な雰囲気の城です。
最初はなぜそう感じるのかよくわかりませんでしたが、よく見ると…
天守の周囲が全て駐車場になっています!
本丸の中心部まで一般車が入っていける城なんて他にあるでしょうか?

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島原城の復元天守は破風がないきれいな層塔型です。
1層目の外壁が海鼠壁になっていますが、実際は違ったという説もあるようで良く分かりません。
入り口で入場券を買っていると、忍者姿のお姉さんに「兜かぶって写真撮りませんか?」声をかけられました。
最近こういうことやってるところ、多いですよね。
でも、男ひとりきりに声かけても仕方ないんじゃないかい!?
あまり時間がなかったので丁重にお断りさせていただきました。

本にのっている縄張図や復元図をみると、二の丸と本丸が堀の中に連郭状に並び、それぞれが廊下橋で連結されているのがわかります。
橋を落とせばそれぞれが孤立する仕掛けです。内部は石垣と塀で複雑に区切られており、枡形が連続しています。
折れを多用した塁線を思い出せば分かる通り、縄張りが技巧的に過ぎるようです。あえて言えば、明らかに守備の城というイメージで、何かに脅えていたようにも感じられます。
そういえば、来る時に通った土橋は縄張上は存在しません。あとから作られたものなのですね。

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※城内にあった看板ではそのあたりにことが良く分かりませんので、ちょっと不満です。

本丸から二の丸に歩いて行くとようやく城跡らしくなります。
道が細くなり、石垣にはツタが絡まっています。
本丸と二の丸の間の橋は失われていますので、一度堀底に降りる必要があります。
ここに橋をかければ、城の造りが良く分かるようになるのにな…って思わないではありません。

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天守を含めいくつかの三重櫓、塀が復元されていますので、一般的な城としては整えられた印象です。
でも、復元建物は鉄筋コンクリートですし、本丸が駐車場になるなど後世の改変も著しいですので、城跡、史跡として見るとあまり面白味はありません。
島原の乱やキリスト教の弾圧などと絡めて、頭の中でいろいろ想像しながら行くと興味深く見れるかもしれません。

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島原城を後にして、近くにある武家屋敷まで行きました。歩いて5分くらいです。
未舗装の道路の真ん中に水路があり、両側は石積みの塀が続いていてとても良い雰囲気です。
建て替えられた家も多いですが、雰囲気は壊れていません。何となく飫肥武家屋敷にも似た雰囲気です。
人によっては島原城よりもこちらの方が良いっていうかもしれませんね。

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