カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

わりだし【駅名しりとり355】

割出 (北陸鉄道

 

 

 

北陸鉄道浅野川線の中間駅。北鉄金沢駅から2.8km地点にあって、1974年に三ツ屋駅に交換設備が新設されるまでは当駅で列車の行き違いが行われていました。

駅の周りは住宅街ですが、1日当たりの乗降人員は500人に届きません。しかし、近年は微増傾向のようです。

また、駅裏に隣接する金沢市浅野川中学校は、ジェフユナイテッド市原・千葉のDF鈴木大輔選手の出身校です。

在籍4年目になる頼れるキャプテンは、強度と熱量の高いプレーが魅力。34歳になりましたが、今シーズンもそのプレーは健在です。

ジェフにとって今年は勝負のシーズンですが、キャプテンが躍動すれば目標をつかみ取れると信じています。

 

 

 

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かなざわ【駅名しりとり354】

金沢 (JR西日本

 

 

 

1月1日の地震は衝撃的でした。関東でも久しぶりに緊急地震速報のアラームが鳴り、心拍数が一気に上がりました。

ただ、金沢城の石垣が崩れるなどの被害はあったようですが、甚大な被害が出た能登地方に比べ、加賀地方は比較的軽微だったという報道です。

そのため、復興支援のためすぐに旅行支援が始まったほか、北陸新幹線延伸も予定通りです。

3月16日以降、金沢駅の在来線ホームはIRいしかわ鉄道のものになりますので、この駅名標も見ることができなくなります。

 

地震津波の映像から東日本大震災を想起し、血が逆流するような焦燥感を感じた人も多いはず。

半島という特殊かつ厳しい地形が救助活動の足かせになり、2か月以上たったにもかかわらず避難所生活を続けている人がたくさんいます。

13年前と違い与党は自民党で、被災範囲や死傷者数が異なり、原発事故もないにもかかわらず、SNSなどでは東日本大震災と比較して、その不十分な対応を指摘する声が多くあったように思います。

加えて、東日本大震災という先例から学ぶことができたことも考慮すれば、そもそも東日本大震災と比較されている時点でダメダメですよね。

再稼働を目指す志賀原発の避難計画が絵空事であったことを考えると、これに原発事故が加わっていたらどうなっていたのか?背筋が凍る思いがします。

 

政権担当能力を持つのは自民党だけ、これが消極的ながら支持を集める理由だと思いますが、少なくとも有事のときには役に立たない人たちだということが露呈しました。

しかも、旧民主党と違い、一時期を除いて60年以上も与党の座にあり経験豊富なはずの人たちの体たらくは絶望でしかありません。

 

この国はどうなってしまうのでしょうか?

 

 

 

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訪城記 ~天神山城~ 【2024.1.27】

1月27日は夕方から吉祥寺で用事があったので、その前に寄り道。

14時過ぎに仙川駅に降り立ちました。

 

吉祥寺駅行きのバスに乗り換えますが・・・

駅前広場にバス停が見つかりません。

慌ててスマホで調べると、少し離れたところにバス停を発見。

国道20号線を渡って駅から5分ほどかかりました。



新川団地中央というバス停で下車しました。

 

小綺麗な団地が広がります。公園で遊ぶ子供の姿もあり、なかなか活気があります。

 

ここは、仙川がつくる低湿地に囲まれた微高地になっていて、中世には 武蔵七党のひとつ村山党の金子氏の居館があったと伝えられ、また、江戸時代には柴田勝家の孫柴田勝重が旗本として屋敷を構えていたところです。

 

そして、仙川を渡った台地の先端部に天神山城がありました。

 

 

城跡は「新川天神山青少年広場」という公園になっています。

バスを降りてから歩いて10分ほどでしょうか。公園の入口前にはずばり新川天神山青少年広場というバス停があり、仙川駅と三鷹台駅を結ぶバスが通りますが、本数が非常に少ないので注意が必要です。

 

公園化されている台地の先端部は、大きなひとつの曲輪だったように見えます。

ただ、公園を造成する際に改変されている可能性もあるので、当時も同様だったのかは何とも言えません。

 

北東側はわずかですが高くなっています。土塁の跡でしょうか?

 

案内看板によれば、単郭の城だったようです。

戦国時代を通じて使われたとのことですが、仙川の対岸にある鳥屋敷とは時期が重なっているのでしょうか?両者がどのような関係だったのか気になるところです。

 

北西側の斜面は比較的緩やかです。おそらく腰曲輪がもうけられていたものと思います。

仙川は現在の流路より蛇行していて、この斜面の直下を流れていたとのこと。

 

北東側、先ほどの土塁の背後は、堀切になっています。

 

この城最大の見どころでしょうか。わずかに折れを伴っているようにみえます。

単郭の縄張りとすると、虎口はどのあたりにあったのでしょうか?

 

 

小さな城跡ですので、30分もかからず見終えてしまいました。

団地のバス停に戻って、吉祥寺に向かいました。

 

 

 

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訪城記 ~高梨氏館~ 【2024.1.7】

篠島から知多半島にわたった後名古屋で宿泊して、1月7日。

7:00発のしなの1号に乗車します。

 

383系は、量産車の登場から28年ほどたち、車内はだいぶ陳腐化した印象。

昨年385系への置き換えが発表されましたが、運用に入るのは2029年度以降とのことです。

 

10:03長野到着。

 

改札を出て、長野電鉄の地下駅へ。10:26発の信州中野行に乗車します。


地下線を出て進路を東へと変え、千曲川をわたります。
村山橋は、珍しい鉄道道路併用橋。大正時代に架けられた旧村山橋が併用橋として有名でしたが、2008年に開通した新橋も併用橋として建設されました。

 

11:14着の信州中野で下車しました。



この日の目的地は、高梨氏館跡です。

高梨氏館は鎌倉時代から戦国時代にこの地域の有力豪族であった高梨氏の居館と伝わります。

高梨氏がこの地を本拠と定めたのは1512年頃のようです。戦国時代には、越後の長尾為景と守護上杉定実の対立、村上氏との抗争のなかで衰退したとのこと。

武田信玄が北信地域へと進出すると上杉方として戦い、川中島の戦いでは上杉方の先鋒も務めました。

その後、独立を失い上杉氏の家臣に。上杉氏が会津、そして米沢に転封になると高梨氏もそれに従い、子孫は米沢藩士として続きました。

 

東西約130m、南北約100mの方形居館は、虎口が3か所にあります。

下の写真は南側の虎口です。

 

立派な土塁ですが、発掘調査の結果中から築地塀が見つかったとのことです。

当初は土塁は低く、おそらく堀も狭くて浅かったのでしょう。後から堀を拡張し、その時出た土を盛り上げたものと思います。

 

郭内。

 

東の方向を見たところです。

正面の山には詰の城だった鴨ヶ岳城、鎌ヶ岳城がありました。比高300mmほどあるようです。

 

発掘調査の結果建物跡が8棟検出され、平面表示されています。

 

そして、一番の見どころは庭園跡です。

庭石があるのみで水がなく枯山水のような趣ですが、水や樹々を想像すると雅な姿が浮かび上がってきます。

 

 

東側の虎口。

 

虎口を出て館の北側を堀に沿って半周します。

 

西側の虎口です。

 

最後に土塁の上から。

土塁の高さは2mほどあります。



この地域は高梨氏が去ったあと、江戸時代には天領となりました。

西へ300mほどのところに陣屋跡がありますが、市街地に取り込まれわずかに石垣が残るのみ。

趣のある建物は、1936年に中野町役場として建てられたものです。現在は中野陣屋・県庁記念館として使用されています。

 

帰りは中野松川駅まで歩きました。



 

 

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しんいいづか【駅名しりとり353】

新飯塚 (JR九州

 

 

 

福岡のベッドタウンのイメージが強くなってきた筑豊

殖産興業を背景に財閥が進出し、一時期は国内産出量の半分以上を占めた巨大炭田でしたが、閉山が相次いだ1960年代から50年以上が過ぎ、街中から当時の面影を探すことは徐々に難しくなっています。

運炭のために網の目のように敷かれた鉄道も、平成筑豊鉄道の3路線と筑豊本線日田彦山線、そして当駅から出る後藤寺線だけになってしまいました。

 

駅から歩いて10分ほどの麻生大浦荘はそんな石炭時代の名残のひとつ。

筑豊御三家といわれたこの地域で力を持った地方財閥のひとつ、麻生家の邸宅で、大正時代末期にたてられたものです。

現在は麻生家の迎賓館として使われており、去年は、将棋の藤井聡太八冠が最年少名人位を奪取した第81期名人戦7番勝負の第4局の対局場にもなりました。

また、筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門の邸宅もこの近くにあります。旧伊藤伝右衛門邸として一般公開され、将棋の女流王位戦の会場としても使われています。

 

 

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