カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~躑躅ヶ崎館~ 【2010.6.12】

甲府駅に着いたのは10時過ぎ。
すぐバスに乗り換えて北へ向かうこと約10分。
正面にこんもりとした木々の塊が見えると、いわずと知れた戦国大名武田家の本拠地、躑躅ヶ崎館跡。
現在は武田神社となって、日々観光客でにぎわっています。多分、大河ドラマをやっていた頃はもっと凄かったのでしょう。

正面には朱塗りの橋がかかり、両側には立派な石垣。さすがに堅牢な造りだって関心してたら、この入り口は武田神社建設時に新しく作られたそうで、東側にある駐車場への出入り口が本来の大手口の由。

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大手口から一度外に出て、北側にまわってみると、境内の喧騒がうそのような静けさ。おまけに人家もまばらになってしまいます。甲府市街地の膨張を躑躅ヶ崎館が防いでいるという感じで思わず健気さを感じてしまいました。恐らく、当時も城下町は館の南側に広がっていたのだろうと思います。

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北側の堀は水が入っていない空堀で、深さも若干浅い感じ。もしかしたら少し埋まってしまっているのかもしれません。細い砂利道(お屋形様の散歩道という名がついているようだ)が堀に沿って続いています。北側にもいくつか郭があったとのことですが、多くは失われてしまったようです。

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西曲輪は中曲輪と土橋で結ばれた馬出状(というには規模が大きいが)の空間です。南北に開かれた虎口はそれぞれ両袖枡形になっていて堅牢な造り。中曲輪は武田神社が建てられてかなり改変されているようだけれど、西曲輪は古の雰囲気を少しでも伝えてくれるようでした。

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大手口の前では発掘調査と堀の復元工事をやっていましたが、発掘の結果をみると、武田時代の遺構と滅亡後の遺構が重なり合っていて調査と保存にはかなり神経を使いそう。
躑躅ヶ崎館は武田家滅亡後も手が加えられたとのこと。とはいえ、すぐに甲府城を築城したのでどこまで利用されたのかは良く分かりませんが、もしかしたら、領主が交代した事実とその権威をあらわすためにあえて大規模な工事を加えたのかもしれません。根拠はありませんが・・・
因みに現在堀の復元工事が進行中。看板によれば、復元される堀は武田家滅亡後の改変によるもののようです。

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ちょうどお宮参りの季節らしくて、赤ちゃんを連れた家族連れが多く出入りしているのを横のベンチで眺めながら休憩。
その後バス停に行ってみたら丁度バスが行ってしまったばかりで、仕方なく歩いて甲府駅へ。暑さもあって30分弱かかってしまいました。
バスは30分~1時間に1本。決して少ない本数ではありませんが、時間は予め調べておいたほうがよさそうです。