8月10日、始発の新幹線で新大阪へ。尼崎で乗り継いで、篠山口駅に10時前に降り立ちました。
すぐの神姫バスに乗り換え。
二階町で下車しました。
篠山城の大手口はすぐそば。馬出は失われていますが、その分再開発が進んでいます。公園の中にかすかに名残があるでしょうか。
篠山城は、豊臣包囲のため1609年に天下普請によって築かれました。
縄張は藤堂高虎と伝わります。直線的な塁線と犬走りが特徴的。
盆地の中央にある小山を利用しており、二の丸へは急な坂虎口に枡形を二重にした堅牢なものです。
二の丸に入ると、2000年に復元された大書院。
当時、二の丸には御殿があり、発掘調査の結果が平面表示されています。
本丸は、青山神社がたっています。1882年建立で、笹山藩主青山氏の祖先青山忠俊と12代藩主青山忠裕をまつっています。
南東隅にある天守台。実際に天守が建てられることはなく、土塀と平櫓が建てられていました。
城下を望みます。三の丸にある学校は、篠山小学校。全国的に珍しくなった木造校舎が今も使われています。
二の丸に戻って、南側の埋門です。
門を出ると石垣に沿って道がついていますが、当時は石垣に囲まれた枡形になっていました。
三の丸から望む天守台です。特徴的な犬走りと高石垣が画になります。
篠山城外郭の虎口は3か所。いずれも角馬出を伴っていました。
冒頭の大手口は失われたものの、ほか2か所が現存します。
近世城郭で馬出の現存例は非常に珍しい。特に外郭部のそれはほぼないと思います。
まずは南馬出。樹木でわかりにくいですが、土塁で囲まれています。
篠山は江戸時代からの区割りや街路が今も残ります。鉄道が市街地を逸れ、空襲にもあわなかったことから、大規模な再開発を免れたのが理由でしょう。
堀沿いの道にも昔の面影。 北に向かって大手門を通り東馬出に向かいます。
東馬出は南馬出より若干小ぶり。石垣は当時のものでしょうか?
堀沿いを本篠山のバス停まで歩きました。
重要伝統的建造物群保存地区の河原町妻入商家群近くのバス停は、どことなく昭和の雰囲気でした。
↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。