1月6日、9:45に到着した田丸駅は、駅舎の新築工事中でした。
田丸は熊野街道と伊勢本街道の分岐点。交通の要衝になります。
そこを押さえる田丸城は、駅から歩いて5分ほど。立派な外堀にぶつかりました。
外堀にそって大手口へ。
土橋の両側の石垣が残りますが、枡形は失われています。
場内に入って右側、村山龍平記念館の背後に、旧三の丸御殿奥書院が保存されています。
維新後農家に払い下げられていたもので、田丸城の郭内にあった建造物の遺構としてとても貴重なものです。
傍らにはC58も保存されています。
街道の分岐点であり、伊勢神宮至近の要衝として激しい争奪戦が繰り広げられましたが、室町時代以降は北畠氏の居城となりました。
戦国時代に入ると、織田信長の次男、織田信雄が北畠氏に養子に入ったことで、織田氏の勢力下に。
石垣造りの現在の姿は、織田信雄の改修によるものです。
大手門の正面にある二ノ門です。
斜面を急坂で登りながら、連続した枡形により180度曲がるという非常に技巧的な虎口です。
二ノ門を抜けると三の丸です。御殿の跡地は玉城中学校になっています。
屋根の形が城郭風?
中学校を抜けると池が見えてきます。蓮池と名付けられており、縄張上は捨堀ということになるのでしょうか。
富士見門。先ほどの奥書院と同様、貴重な郭内建造物の遺構です。
民間に払い下げられていたものを再移築した長屋門で、三の丸と二の丸の間にあったとのことですが、城郭建築というには少し華奢な感じがします。
本丸虎口も石垣で固められた枡形虎口です。
二ノ門と同様、高低差をうまく利用した技巧的な虎口で、このあたりに織田信雄の手が入っているように感じます。
北の丸。神社が建っています。
本丸に到着しました。
北側には天守台があります。
穴蔵を伴っており、三層の天守があったようです。
現在は、足場材を組み、幕を張った簡易的な天守が建っています。現代版一夜城という感じでしょうか?
賛否両論あるかもしれませんが、当時の状況をイメージできるこういったものは個人的には歓迎したいです。
復元は史料の面でハードルが高いですし、費用、時間も膨大なものになります。遺跡の保存と活用の両立という面でもメリットがあるのではないでしょうか?
二の丸への虎口も土橋に外枡形という厳重な構え。
二の丸の虎口です。
本丸下、西側の腰曲輪に降りてきました。
最後に西側斜面をぐるっと巡ります。
先ほどの腰曲輪のさらに1段下になります。
このあたりは織田氏入城前の雰囲気が残っているような感じがします。
駅に戻りました。
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