昨日、12月11日の話です。
上野6:26発の前橋行に乗車しました。
前橋で下車。
中央前橋駅まで歩いて、9:00発の大胡行に乗車。
9:17に到着しました。
駅から北へ10分ほどで、この日最初の目的地、大胡城に到着。
城跡の入口は立派な埋門。というのは冗談で、往時の堀跡を車が通れるスロープに改造したようです。
坂を登ると二の丸。
南東隅に枡形が残されています。当時の二の丸正面はここだったものと思います。
クランク状の通路に、わずかに石垣がのこります。
西側の虎口。玉蔵院跡といわれる曲輪がこの先にあるので、当時の虎口かと思いましたが、傾斜や幅を考えると後世の改変の可能性が高そうです。
二の丸からの横矢がかかり、いかにもっていう雰囲気ですが。
本丸の虎口は西向きに空いています。坂虎口になっていて右側の土塁がひときわ大きく櫓台のように見えます。
本丸。段差があって、東側が若干高くなっています。
二の丸側の西側、南側の土塁は立派ですが、東側は切り取られてしまったようでのこっていません。
本丸を出て、北側の空堀。
そのまま降りていくと、細い川が谷を形成しています。
この川が当時から存在していたのかはわかりませんが、舌状台地の先端部に占地している大胡城の縄張にとってキモになる地形だと思います。
城跡はさらに北に続いていました。北城とよばれる曲輪は現在幼稚園になっている由。
そしてこの道路は堀切の跡だと思いますが、その名残は全く感じられません。
幼稚園の北側の高台は近戸曲輪です。現在は大胡神社になっています。
本殿裏側には土塁が残ります。
そして、どの裏には大規模な空堀が残り、そこに架かる土橋は、車が通れる幅になっているものの、縄張的に当時から存在した虎口のような気がします。
大胡城は北から延びる舌状台地の先端にあります。
そのこと自体はよくある占地ですが、城内に2本の細い川を取り込んでいるのが珍しい気がします。
先ほどみた本丸北側と北城の間、もうひとつは二の丸と三の丸の間です。地形的にここに川が通るのは不自然な気がしますので、人工的なものかとも思いましたが、自分には判別できません。
本丸周辺と北側、南側、3つに分かれる縄張はそれぞれ独立性が高かったという話もあるようですが、縄張自体は本丸への求心性が高いものですし、細い川なので橋をかけることも難しくないはずなので、どこまで独立した性格を持っていたのかは難しいところだと思います。
城域の南端は、現在前橋市役所大胡支所になっています。台地の先端部で、南側は下り坂。
このあたりに大手があったといいますが、その面影をみることはできません。
支所の建物に続く道がクランク状になっていてドキッとしますが、気にしすぎですね。
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