去年の話が残っているので、お付き合いください。
膳城を出て北へ。
八幡神社の背後で下り坂。谷のような地形になっていました。
10分ほどで到着。
山上城は現在、山上城址公園として整備されています。
公園入口の橋を渡ると芝生の広場になっていて、ここが三の丸とのこと。
あまりにひらけすぎていて、城感がありません。
芝生が途切れると、大規模な堀切。ようやく城らしくなってきました。
堀切を渡ると二の丸下の腰曲輪に導かれます。
左側の土塁の上が二の丸。導入ははっきりしません。
さらに一段上に本丸。
ここへの導入もよくわからず、私は、間にある横堀を回り込むようにアプローチしましたが間違っているのでしょうね。
一旦腰曲輪まで戻って、本丸の北側へ。
大規模な横堀と土塁が見事です。
本丸の北側には笹曲輪的な曲輪がありました。
写真の奥の高台が本丸です。
堀底をそのまま進むと、城の西側を南北に走る横堀に導かれます。
そしてこの横堀が見事。しかも二重になっているようです。
全体的に技巧に乏しい縄張だと思いますが、土木量は見ごたえがあります。
先程の、三の丸と二の丸の間にある堀切。
そのまま横堀の底を進みます。
城址公園の南側は、墓地や住宅になっています。
この墓地の法面が城っぽい!?
元町集会所という公民館の敷地内には物見台と伝わる土壇があります。
高さ3mほどでしょうか?
古墳が取り込まれてしまったものかと最初思いましたが、そういうことが書かれているものを発見できなかったので、違うのでしょうね。
先程行った膳城と山上城は徒歩で10分も離れていません。
しかも、縄張に差はあれど、規模や土木量は似たような感じに見えます。
大声なら会話できそうなくらいに近い両城はどのような関係だったのでしょうか?私、気になります。
もっとも、同時に存在し、機能していたのかはわかりません。
時代が異なっているのであれば、そういう疑問もあり得ないわけですが。。。
短時間で2城も廻れて満足しました。
少し早いですが、赤城で「りょうもう28号」に乗り換えて帰宅しました。
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