カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~武蔵松山城~ 【2019.10.26】

前日の大雨が嘘のようにスッキリと晴れた10月26日土曜日、
7:45に東松山駅に降り立ちました。

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駅前のバスターミナル3番乗り場から、8:10発の鴻巣免許センター行のバスに乗り換えます。

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10分弱の乗車時間で、「百穴入口」に到着。

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市野川の向こうにある小高い丘が、最初の目的地、武蔵松山城です。

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丘に沿って進むと、すぐに城跡への入口を見つけました。

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昨日の雨の影響か、水が道に流れていて、ちょっとした沢みたいになっています。
そんな道を登ること5分ほどで本曲輪の背後に出ました。
下の写真で右の道は、今登ってきた登城路、左は、本曲輪の背後を守る笹曲輪、右の斜面の上が本曲輪です。

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立派な石段を登ると、ひらけました。
コンクリートの基礎のようなものがありますが、神社か何かあったのでしょうか?

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二ノ曲輪に行くために、虎口というには急すぎる斜面を降りて、堀底へ。さらに対岸の斜面を登ります。

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二ノ曲輪は、本曲輪東側を防御する、城内最大規模の曲輪です。
縄張図を見ると、下位の各曲輪に横矢がかかるようになっていて、籠城戦の中心になったところだと思います。

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また堀底におりて三ノ曲輪へ。

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曲輪の南側には馬出があります。
細い土橋とその先の馬出がわかるでしょうか?

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三ノ曲輪から曲輪4への道はこれまでと異なり、斜面に沿って徐々に堀底に降りていく構造になっています。
これが、当時の登城路そのままだとしたら、三の曲輪に入るまでの間、延々横矢にさらされることになります。

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曲輪4を抜けると住宅街に出ました。
本来と逆に歩いてきてしまいましたが、構造的にここか、先ほどの馬出のところが大手になるのだと思います。

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本曲輪まで戻って、北側へ。

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一段降りると、兵糧倉と書かれた曲輪です。本当にこんな名前だったのでしょうか?

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搦手口があったと伝わる、岩室観音の背後を抜けて、惣曲輪を経て、東側の虎口へ。
こちらは、台地の根元のほうなので、急な坂などはありません。

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技巧的な縄張、巨大な横堀と膨大な土木量、見るべきところが多い城跡で、楽しめました。
が、下草が繁茂しているので遺構を十分に観察できず、足下はグチャグチャで滑る、蜘蛛の巣いっぱい、と散策には不利な条件が多すぎ。
土の城を闊歩するには時期が早い、というのは薄々わかってはいましたが、想像以上でした。
リベンジが必要ですね。

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