さんざん悩みました。
新型コロナウィルスの感染者は増えていますが、経済優先を掲げる政府はアクセルを踏むばかりでブレーキをかけようとしません。
一方で自治体の首長は懸念を相次いで表明していますが、権限からも財政的にも小規模かつ中途半端なものです。
もはや、感染するもしないも「自己責任」ということなのでしょうか?
自己責任、なんとも便利な言葉ができたものです。
GWはどこにも行けませんでした。
もともと、引きこもり体質なので、家にいること自体は問題ありませんが、「外出するな」といわれて家にいるのは意外とストレスだということもわかりました。
というわけで、公的に、「自粛」を「要請」されていないという状況を鑑み、この夏休みはお出かけすることにしました。
とはいっても、できるだけ人と会わないように、人混みを避けるように行動します。
(一人旅なので、普段から接触者は少ないのですが…)
8月8日は上野6:06発の臨時はやぶさ49号でスタートです。
上野発車時点で乗車率は3割ほど。最終的には5割ほどになったようです。
二戸で下車しました。
最初の目的地、九戸城は歩いて30分ほど。駅前通りを進み、馬淵川を渡ります。
歩きだして20分ほど。高台が見えてきました。
呑香稲荷神社などの寺社仏閣があるこの高台には松の丸という出丸のようなものがありました。
そして、この辺りの街道上に虎口が作られ、ここから北が三の丸だったようです。
郵便局の前を左折し、細い路地を登っていくと、右手の松の丸、左手の二の丸に挟まれた堀底に出ました。
堀といっていますが、これほどのものを人工的に掘削するのは難しいので、自然の谷筋を利用したものだと思います。
さらに進むと、大手口。この土橋が当時のものだとすると、城内から横矢がかかるなかなか巧妙な縄張です。
道の中央に柵があり、「撮影禁止」という看板があります。すぐ横で行われている発掘現場の前にも書いてありましたので、発掘現場を撮影するな、ということなのでしょう。
発掘状況を覗いてみると、当時は枡形虎口になっていたようです。
二の丸に入ってきました。
空堀の向こうが本丸です。
本丸は石垣づくりとのことですが、草が茂っていてよくわかりません。
また、破城の名残なのか石垣が崩されているところがある、とのことですが、それも判別できません。
九戸城で一番有名な、本丸南側の虎口。
外枡形のような形になっています。
本丸の石垣の上から虎口をみたところ。
本丸内は発掘調査が行われていて、やっぱり撮影禁止。
遠景だけにとどめておきます。
東側の虎口。こちらは内枡形です。
橋が堀に対して斜めにかけられていますが、これは遺構を反映したものなのでしょうか?
二の丸の東側にある搦手口です。
遺構は失われていますが、小さな内枡形になっていたようです。
この九戸城には、先ほどの松の丸のほか、石沢館、若狭館という曲輪がありました。
おそらく、この城が近世城郭に改良される前から存在する曲輪で、自然地形を利用しているのが特徴。
曲輪間の移動には、堀底を道として利用していたようです。
石沢館。先ほどの二の丸搦手口を背後から臨むことができます。
堀底を進みます。先日までの大雨の所為で、ぬかるんでいて足下が悪いです。
若狭館。
最初に出てきた松の丸にも寄り道します。
一部は墓地に。
松の丸南側の空堀。非常に深く、巨大な堀です。
この城は堀の巨大さ、雄大さに驚かされます。
自然地形を巧みに利用しているのだと思いますが、どの堀も広くて深いです。どうしても本丸の技巧的な縄張に目が行きますが、この城のキモは堀でしょう。
2時間ほどで駅に戻ってきました。
10:40発のはやぶさで新青森へ。さらに奥羽本線に乗り換えて、13:39に弘前駅に到着しました。
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