8月9日の弘前は、大雨の朝でした。
バスの時間に合わせてホテルを出たものの、雨が強すぎて歩くこともままなりません。いったん駅構内に避難しました。
避難して30分ほど。空が少しずつ明るくなってきて、小雨になってきましたので、8:00発のバスに乗車しました。
20分ほどの乗車時間で、堀越に到着。
バス停から歩いて5分ほど、堀越城跡がこの日最初の目的地です。
看板を眺めているうちに雨がやんできました。今のうちにサクッと回ってしまいましょう。
弘前城が築城されるまで、津軽氏の本城として機能したこの城は、思った以上に広大です。
三の丸を羽州街道のバイパスが貫いているのが興ざめですが、それ以外は発掘調査の成果に基づいてきれいに整備、復元されています。
まずはバイパスの東側へ。
巨大な土塁に、発掘調査で見つかった掘立柱の平面表示。
そして一番東側の虎口が特徴的です。
土橋が堀の中央で90度折れ、城内から常に横矢がかかるようになっています。
非常に技巧的ですが、これは当時のものでしょうか?
バイパスの西側に戻ってきました。
外郭から本丸を臨みます。
巨大な堀と二重の土塁が目を引きます。特に堀の中央に土塁をつくって二重にしているのが特徴的です。
この二重土塁は、三の丸の北側と南側にも見ることができます。
三の丸への虎口です。二重の土塁を利用し、道を4回も曲げています。
これほど複雑な虎口はあまり見たことがありません。
三の丸南側の土塁に登ってみました。
先ほどの虎口の構造がよくわかります。
橋の向こう、樹々が生い茂っているところが本丸です。
本丸の虎口はあまり技巧的ではありません。
こちら側には土塁がありませんが、通路をふさぐように建物が建っていたようです。
二階門のようなものがあったのでしょうか?
本丸は不整形な五角形。二の丸、三の丸の縄張に比べると大雑把な印象です。
この本丸部分は古くからあって、二の丸以下は後年に拡張された、という妄想が浮かびましたがいかがでしょう?
本丸西側の虎口は、熊野宮の参道になっています。
堀を渡ったところが二の丸。参道はそのまま真っ直ぐに城外へ続いていますが、
当時の虎口はそのすぐ横。土塁に突き当たって右折、さらに左折して城内に入るというこれもまた技巧的な構造です。
この虎口の目の前には羽州街道が通っています。その立地を考えると、普段はこの虎口がメインだったのかもしれません。
小一時間でバス停に戻ってきました。
途中小雨がパラつくことはあったものの、傘をさすほどではなかったので助かりました。
9:17発のバスはほぼ定刻にやってきました。
↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。