臼井城を出て、県道64号線を北上します。
交通量が多く、時折大型のトラックも通るうえ、路肩が狭くて歩道もないため、非常におっかない。
脇道を見つけて県道から逸れます。
印旛沼を渡る船戸大橋。この日は小春日和で暖かく、湖面を渡る風にも冷たさは感じませんでした。
歩いて30分弱で到着したのは千葉県立印旛沼公園。師戸城跡につくられています。
駐車場について、まず目に入るのは空堀。経年で埋まっていることを考慮するとその巨大さがわかると思います。
駐車場のある曲輪から三の丸へ。堀には土橋がかかりますが、この土橋は後世の改変によるもののようです。言われてみれば横矢の掛かり方が甘いような気も・・・
本来の虎口は、西側の台地の縁と東側の2か所にあったようです。
三の丸は野球場が入るほどの広さ。
内堀を渡って二の丸へ入ります。縄張図を見ると、この虎口も横矢がイマイチ。後世の改変かもしれません。
二の丸には展望台があって、印旛沼を一望することができます。
師戸城は、14世紀に築城されました。師戸氏が城主だったと伝わりますが、印旛沼を挟んで対岸の臼井城と連携し、その支城として機能していたというのが実態のようです。
かつては舟運が盛んだった印旛沼を押さえるのに両城は絶妙御位置関係にあるといえそうです。
二の丸と本丸の間には浅い堀があります。当時はもう少し深かったのだと思いますが。
土橋が2本かかっていますが、園路になっているのは後の改変によるものです。もう1本の方は本丸からの横矢がかかっていますので、こちらが正解。
本丸。
堀底を通って戻ります。
堀は複雑に折れており、先を見通すことはできません。
ということは塁線が複雑に折れているということで、とても技巧的な縄張という印象。
そして、三の丸の東側。この辺りに虎口があったはずですが、判別できません。
ただ、三の丸の土塁と崖の間の狭い通路を進む導線はなかなかに鬼畜です。
再び、駐車場裏の空堀。
師戸城へは、京成臼井駅と印旛日本医大駅、印西牧の原駅を結ぶバスを利用することが可能です。
しかし、本数が少なく、日中には3時間近く空く時間帯があるなど事前に調べておくことが必須。
私は、丁度その空白の時間にあたってしまいました。次のバスまで1時間半あります。こうなると歩いた方が早いので、京成臼井駅まで歩いて戻ることにします。
地図上では3.5kmほどですが、先の県道を歩きたくはないので、裏道を探してクネクネと歩いた結果、駅まで40分ほどかかりました。
13:11発の快速上野行に乗車します。
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