小春日和の誘われてお出かけ。京成臼井駅に降り立ちました。
臼井城は住宅街の中を歩いて15分ほど。
坂が急になってきました。
本丸と二の丸の間にある空堀を利用している駐車場がありましたが、スルーします。
臼井城跡という石柱がある公園入口に到着しました。が、これもスルー。
すぐ横に、二の丸と三の丸を隔てる巨大な空堀が残されています。
藪が茂っており写真ではわかりにくいですが、幅、深さとも申し分なく、見ごたえ十分です。
空堀をわたる車道は土橋になっていますが、これは当時のものでしょうか?
二の丸の土塁の上から横矢がかかるようになっています。
堀を渡った先には太田図書の墓があります。
太田図書が討死したのは1479年のことですが、臼井城はその後何度も合戦の舞台になりました。
一番有名なのは1566年の臼井城の戦いでしょうか。上杉謙信の猛攻に落城寸前になりましたが、最終的には退けることに成功しています。
度重なる合戦の中で徐々に拡張、強化されていく臼井城は想像以上に巨大な城郭でした。占地する舌状台地はかなり巨大で、二の丸の外側には広大な三の丸、さらには、出城とでもいうべき砦群が郭外に築かれていたといいます。
その多くは宅地化により消滅したようですが、臼井田宿内砦はかすかに古の姿をとどめているとのことで、臼井城に行く前に寄り道しています。
場所は京成臼井駅近くの高台にある宿内公園です。
台地の先端を区切る巨大な空堀。
そして本丸も思いのほか広く、砦という間隔を超えた規模感です。
本丸の下にはおいくつかの腰曲輪を伴っていたようですが、藪がひどく判別できませんでした。
臼井城に戻ります。
二の丸は広い芝生の広場になっています。
本丸へ通じる土橋。
左右の堀も立派。先ほどの駐車場がみえます。
本丸。
本丸からの眺望。湖面は印旛沼です。
本丸の北側に降は、腰曲輪に降りていく搦手口があります。地面の高まりから判別するに枡形だったようです。
ちなみに現在の園路と異なっています。本丸への導入としてはおかしくないように見える園路ですが、研究者がつくった縄張図を見ると虎口とはみなしていません。どういう点に着目した判断なのでしょうか?
山を下ります。
↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。