10年ひと昔、とはいいますが、もう少しで20年になります。
1997年、北陸新幹線の開業と入れ替わるように廃止された信越本線の横川-軽井沢間。
通称「横軽」とか言われたその区間は、66.7‰という急勾配、「峠のシェルパ」と呼ばれたEF63を補助機関車として必ず連結するという運転形態、EF63との協調運転や台車の空気バネをパンクさせる機能などの数々の特殊装備…、その特異性ゆえに私たちの心をとらえてきました。
しかし、その時代を知らない人も増えている中で、徐々に記憶から歴史へと移りつつあるように感じます。
1997年、北陸新幹線の開業と入れ替わるように廃止された信越本線の横川-軽井沢間。
通称「横軽」とか言われたその区間は、66.7‰という急勾配、「峠のシェルパ」と呼ばれたEF63を補助機関車として必ず連結するという運転形態、EF63との協調運転や台車の空気バネをパンクさせる機能などの数々の特殊装備…、その特異性ゆえに私たちの心をとらえてきました。
しかし、その時代を知らない人も増えている中で、徐々に記憶から歴史へと移りつつあるように感じます。
そんな鉄路の20年後を記憶にとどめたいと思います。
2017年7月16日、高崎8:02発の横川行きは211系の4両編成でした。
安中の東邦亜鉛も車窓から見る妙義山の異様な山容も昔と同じように見えます。
しかし、横川駅に到着すると目の前には容赦なく切断された線路と車止め。
安中の東邦亜鉛も車窓から見る妙義山の異様な山容も昔と同じように見えます。
しかし、横川駅に到着すると目の前には容赦なく切断された線路と車止め。
駅舎は当時の建物ですが、お化粧されてきれいになっていました。
しかし、駅前のおぎのやは昔の佇まいを残しています。側溝のふたに使用されているラックレールもそのままでした。
しかし、駅前のおぎのやは昔の佇まいを残しています。側溝のふたに使用されているラックレールもそのままでした。
横川機関区の跡に建設された碓氷峠鉄道文化むらを横目にしながら、線路跡に沿って歩いていきます。
柵の外から見ただけですが保存車両も20年という歳月そのままに朽ちている印象。手入れはされているみたいですが。
柵の外から見ただけですが保存車両も20年という歳月そのままに朽ちている印象。手入れはされているみたいですが。
線路跡は「アプトの道」という名前の遊歩道として整備されています。(線路跡だから当たり前ですが)息のあがるような急勾配はなく、とても歩きやすい道です。
架線柱や信号、各種標識もそのまま残されていることから、まだ現役であると錯覚してしまいそうになります。
旧下り線はトロッコ列車として途中まで復活していますので、なおさらです。
でも、朽ちてさびた信号機やツタが絡まる架線柱を見ると、一気に現実に引き戻されてしまいます。
架線柱や信号、各種標識もそのまま残されていることから、まだ現役であると錯覚してしまいそうになります。
旧下り線はトロッコ列車として途中まで復活していますので、なおさらです。
でも、朽ちてさびた信号機やツタが絡まる架線柱を見ると、一気に現実に引き戻されてしまいます。
20分ほど歩いて、丸山変電所跡に到着。
廃線前から撮影の名所として有名でしたが、国の重要文化財に指定されるとともに復元工事も行われました。廃線前は朽ちるに任せるような状態でしたので、かなりきれいになっていてびっくりしました。
廃線前から撮影の名所として有名でしたが、国の重要文化財に指定されるとともに復元工事も行われました。廃線前は朽ちるに任せるような状態でしたので、かなりきれいになっていてびっくりしました。
せっかくなので建物を一周してみましょう。特に線路と反対側の面はなかなか見ることがないので、少し珍しいかもしれません。
霧積川を渡って、
※だいぶ長くなりそうな予感。別稿にてさらに続きます。