Wikipediaに曰く
「王子 - 下十条(現在の北王子駅)間の北王子線は、国鉄線として開業する以前に王子製紙の専用鉄道として存在していた。下十条駅にあった同社の十條工場は1910年(明治43年)5月に印刷局の工場として開業し、1916年(大正5年)7月に王子製紙に払い下げられた。その後、1926年(大正15年)8月16日に王子から下十条までの専用鉄道運輸の免許を受けている。」
とのことで、かなり歴史の深い路線です。
その後、2014年3月14日をもって運行が終了し、同年7月1日付で正式に廃止になりました。
「王子 - 下十条(現在の北王子駅)間の北王子線は、国鉄線として開業する以前に王子製紙の専用鉄道として存在していた。下十条駅にあった同社の十條工場は1910年(明治43年)5月に印刷局の工場として開業し、1916年(大正5年)7月に王子製紙に払い下げられた。その後、1926年(大正15年)8月16日に王子から下十条までの専用鉄道運輸の免許を受けている。」
とのことで、かなり歴史の深い路線です。
その後、2014年3月14日をもって運行が終了し、同年7月1日付で正式に廃止になりました。
B地点。新幹線の高架下を徐々に下がってくる線路。
D地点。
F地点、第二宮江町踏切です。
2車線の大きな道路と交差していますので、警報機も立派です。
2車線の大きな道路と交差していますので、警報機も立派です。
右方向に曲がっていく道路、怪しいですね~
ここからは須賀線という別の貨物線が分岐していました。
須賀線は大日本人造肥料(現・日産化学工業)の専用鉄道として1926年に開通。その後は、陸軍造兵廠豊島貯弾場の弾薬輸送のほか、東京セロファン紙(現・東セロ)東京工場や、旭電化工業(現・ADEKA)尾久工場への貨物輸送に使用されたとのことです。
線路は隅田川の近くまで伸び、終点は現在、豊島五丁目団地になっています。また、途中にあった都電との平面交差も見どころでしたが、1971年に廃止になってしまいました。
廃線跡は道路になっていまして、ここに線路があったことを感じ取るのは難しくなっています。
須賀線は大日本人造肥料(現・日産化学工業)の専用鉄道として1926年に開通。その後は、陸軍造兵廠豊島貯弾場の弾薬輸送のほか、東京セロファン紙(現・東セロ)東京工場や、旭電化工業(現・ADEKA)尾久工場への貨物輸送に使用されたとのことです。
線路は隅田川の近くまで伸び、終点は現在、豊島五丁目団地になっています。また、途中にあった都電との平面交差も見どころでしたが、1971年に廃止になってしまいました。
廃線跡は道路になっていまして、ここに線路があったことを感じ取るのは難しくなっています。
北王子線に戻りまして、G地点の第1北王子踏切です。
朽ちた警報機はそのままですが、北側はマンションの駐車場に生まれ変わっています。
歩道に表示された2本の線がここに線路があったことを示しているようですが、
知らなければ単なる模様にしか見えません。
朽ちた警報機はそのままですが、北側はマンションの駐車場に生まれ変わっています。
歩道に表示された2本の線がここに線路があったことを示しているようですが、
知らなければ単なる模様にしか見えません。
H地点は終点の北王子駅。
巨大なマンションが建築中で、全面をフェンスに囲まれてしまっており、中の様子をうかがうことはできません。
ただ、これだけ大規模な建築ですので、鉄道関係のものはすべて撤去されてしまったものと思います。
巨大なマンションが建築中で、全面をフェンスに囲まれてしまっており、中の様子をうかがうことはできません。
ただ、これだけ大規模な建築ですので、鉄道関係のものはすべて撤去されてしまったものと思います。
西側の桜並木は当時のまま。遊歩道なども整備されるようです。