第2号トンネル。
抜けると左手に碓氷湖。
抜けると左手に碓氷湖。
第3号トンネル。先には第4号、第5号トンネルが続いているのが見えます。
第4号トンネルと第5号トンネル。
そして、第5号トンネルの先には碓氷第三橋梁、通称めがね橋です。
レンガ造りの巨大な4連アーチ橋で、国の重要文化財に指定されています。
明治25年に完成し、200万個以上のレンガが使用されている由。1894年に補強工事が施され現在の姿になりました。
橋のすぐ下には国道18号線の旧道があり、遊歩道で降りていくことができます。
国道から撮影する橋は、よく見るおなじみの風景。ただし、車やバイクが急カーブを飛ばしてきますので、撮影には注意が必要。油断していると轢かれてしまいそうです。
明治25年に完成し、200万個以上のレンガが使用されている由。1894年に補強工事が施され現在の姿になりました。
橋のすぐ下には国道18号線の旧道があり、遊歩道で降りていくことができます。
国道から撮影する橋は、よく見るおなじみの風景。ただし、車やバイクが急カーブを飛ばしてきますので、撮影には注意が必要。油断していると轢かれてしまいそうです。
橋の上からは1997年まで使用された新碓氷川橋梁もよく見えます。そういえばここも撮影の名所でしたね。
架線が残され今にも列車が走ってきそうです。それはかなうことのない幻ですが。
架線が残され今にも列車が走ってきそうです。それはかなうことのない幻ですが。
めがね橋の先は第6号トンネル。長さ546mというアプトの道の中で最長のトンネルです。
工期の短縮を目指してトンネル中間部からも掘削するようにしたため、トンネルの中に横穴と排煙口があるのが珍しいです。
工期の短縮を目指してトンネル中間部からも掘削するようにしたため、トンネルの中に横穴と排煙口があるのが珍しいです。
第7号トンネル、第8号トンネルとどんどん進みます。
第9号トンネル、第10号トンネルを抜けると熊ノ平に到着。
アプト式の時代は単線だったため、ここで列車の交換をしていました。
有効長を稼ぐため、突込線をもつ、変則的なスイッチバックの駅でした。
複線化後およびアプト式廃止後、乗降はできなくなりましたが、信号所と変電所として維持され、特に運転上は閉塞の境界としてよく名前が出てきました。
滑走とかいろいろ考えてのことだと思いますが、熊ノ平を通過するまでは続行列車を発車させない、という運用がされていたと記憶しています。
アプト式の時代は単線だったため、ここで列車の交換をしていました。
有効長を稼ぐため、突込線をもつ、変則的なスイッチバックの駅でした。
複線化後およびアプト式廃止後、乗降はできなくなりましたが、信号所と変電所として維持され、特に運転上は閉塞の境界としてよく名前が出てきました。
滑走とかいろいろ考えてのことだと思いますが、熊ノ平を通過するまでは続行列車を発車させない、という運用がされていたと記憶しています。
構内の片隅には1950年に起きた大規模崩落事故の慰霊碑があります。
また、その隣には神社。JRの一宮だそうです。
階段を下りて、熊ノ平駐車場からバスで軽井沢に向かいました。
シーズン中に1日1往復だけ運行される旧道経由のバスです。かなりの混雑でびっくりしました。
軽井沢駅は観光客でごった返していましたが、寸断された線路を顧みるものはいません。
峠のシェルパが待機した留置線跡は駐車場に変わり、169系が草ボーボーの線路にポツンと留置されていました。
シーズン中に1日1往復だけ運行される旧道経由のバスです。かなりの混雑でびっくりしました。
軽井沢駅は観光客でごった返していましたが、寸断された線路を顧みるものはいません。
峠のシェルパが待機した留置線跡は駐車場に変わり、169系が草ボーボーの線路にポツンと留置されていました。
横軽…、峠を越えるための工夫と努力を思うとき、その響きはある種の感慨と特別な感情を呼び起こさせます。
しかし、その特別さがこの鉄路の運命を決めてしまったという事実は皮肉でしかありません。
廃止前から存続に向けた模索が続けられてきました。そしてそれは今も。
しかし、その特別さがこの鉄路の運命を決めてしまったという事実は皮肉でしかありません。
廃止前から存続に向けた模索が続けられてきました。そしてそれは今も。
様々な思いはやがて昇華し、この鉄路は草に埋もれていきます。