カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

三菱製紙中川工場専用線

千代田線直通の緩行線のみ停車するJR常磐線金町駅。快速が停まらないということで地味な印象の駅ですが、運転上は新金貨物線が分岐し、多数の側線を持つ重要な駅です。
この金町駅からは三菱製紙中川工場への専用線も分岐していました。
紙製品の輸送のため、八戸臨海鉄道北沼駅と当駅を結ぶワム80000で組成された貨物列車が設定されていたのこと。ワム80000で統一された長い編成が停車していたのは私も記憶しています。
2003年の工場廃止とともにこの専用線も役割を終えました。工場跡地には現在、東京理科大学葛飾キャンパスが建てられています。

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現役の時には見向きもしないのに廃止になったとたん気になるというのは悪い癖ですが、
廃止15年弱がたってようやくの訪問。11時半くらいに金町駅に降り立ちました。

まずはA地点、金町駅の構内です。
現役時代さながらに2本の線路が残されています。

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亀有方はシーサスがあり、右側の線路が工場の方へつながっています。
左側の線路は常磐緩行線の線路と平面交差し折り返し線を介して快速線の線路につながっています。

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松戸方は2本の線路が1本にまとまっています。2本の線路の一方は機回し線として機能していたようです。

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駅を出て、西に向かいます。
イトーヨーカドーの中を抜けていくとB地点。
駅から分岐してくる線路と築堤がよく残っています。
線路の先は車止めとフェンスでふさがれています。

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同じところを反対側から見たところです。

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フェンスの先は築堤が失われ、線路が途切れています。

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C地点はかつて踏切があったはずです。
しかし、その痕跡はありません。
ここから先の廃線跡は遊歩道として整備されています。

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廃線跡特有の緩いカーブを抜けていきます。

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D地点に到着。踏切があったはずですが、跡形もなく撤去されています。
工場の跡地は東京理科大学葛飾キャンパス。これだけ再開発が進んでしまうと、線路の痕跡はまったく残っていないでしょう。

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E地点にも引き込み線があったようです。想像すらできないほど変貌しています。

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そしてF地点。このあたりに線路がのびてきていたはずです。

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これだけの再開発が短時間で進みましたので、かつての製紙工場をしのぶことはかなり難しくなっています。
公園の中にポツンと保存されている地球釜が過去を伝える唯一の証人かもしれません。

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その地球釜の前にある池、凍っています。
昼の12時過ぎですよ!
今年の冬は寒すぎます。

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最後にG地点に行ってみましょう。
ここには倉庫と思しきレンガ造りの建物が2棟残っています。
製紙工場のものでしょうか?
いずれにしてもだいぶ朽ちてきている感じですので、保存するのであれば早急に手当てすることが必要だと思います。

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ネットで検索したらgoogle mapで1990年の航空写真を見つけましたので、載せておきます。
あまりの変わりようにびっくりします。
街の代謝は私が思っている以上に活発で急激みたいです。

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