カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~甲府城~ 【2010.6.12】

中央本線甲府駅に着く直前、左手に櫓が見えます。通るたびに行きたいと思いつつ、機会がないままでしたが、躑躅ヶ崎館の後寄ることができました。
甲府城は駅の至近、歩いて5分かかりません。とはいいつつよく考えてみると、甲府駅自体が城の敷地内に作られたわけで、近いのは当たり前ですね。

鉄道の駅というのは、城跡に作られるという例が多いように思います。
三原、淀、福山、福井、白河・・・もちろん他にもあると思いますが。
思うに、鉄道を建設する際に市街地の近くに駅を作れるような広大な土地は城跡くらいしかないという物理的な理由のほかに、維新の結果、城は旧体制の象徴というか抑圧の象徴みたいになってしまって民衆から顧みられなくなったからという時代的な気分も理由のひとつではないでしょうか。
特別根拠があるわけではありませんが・・・閑話休題

まずは駅の北側の山手御門へ。2007年に復元された由。石垣から積み直しているので、まだまだ風景になじんでいません。というかあきらかに浮いてます。
本丸との間には線路が通っているので、なおさら浮いてしまっているのかもしれません。
舞鶴城公園との間に歩道橋でもかければまだ違うと思うのですが、いかがでしょう。

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近くの踏切を渡ると稲荷櫓の下に出ます。2004年に復元されたもので、これが結構目立ちます。
復元に当たり、石垣も積みなおしたようで、新しい石材と古いのが混在しています。
それにしても、石垣の積み方が汚く見えるのは自分だけでしょうか。数奇屋曲輪の東面なんて、内圧で盛り上がってきています。現代は当時に比べてかなりいろいろな面で進んでいるとは思いますが、少なくとも石積みの技術だけは逆に退化してしまったように思えてなりません。

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※右の写真は城内側です。

舞鶴城公園に入ると見事な一二三段。おまけに連続する枡形虎口。近世城郭ここにありっていう感じです。
特に天守台はかなり立派です。不等辺の形状の天守台に当時はどのような天守が建てられていたのでしょうか。もっとも、そのあたりの史料を見た記憶が全くありませんし、そもそも天守が建てられたかどうかさえ賛否両論あるようです。因みに甲府市天守に関わる資料を一生懸命探しているようです(懸賞金までかけて!!)。

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珍しいことに城内には木が極端に少ない気がします。公園でありながら、憩いという点では物足りなく感じます。その所為か地元の人の姿もあまり見なかったように思います。(高校生らしき団体がダンスの練習をしてはいましたが)

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躑躅ヶ崎館、甲府城甲府市はかなり史跡整備に熱心なようです。この姿勢は旅行者にとって非常に有難いとはおもいますが、一方で整備が行き届きすぎていて何か違和感があります。我儘な言い方かもしれませんが、そもそも史跡というのは地元のものであり、公共の宝ですので、復元整備するにしてもそれが第一に旅行者のためというのであれば、何かが違うように思えます。