カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~沖山の塁~ 【2020.08.19】

8月19日の話です。

 

休暇を取ったこの日は人間ドックでした。

午前中の検診が終わったのは10時過ぎ。午後の検診まで2時間以上空いてしまいましたので、

近くにある、沖山の塁に行ってみることにしました。

 

 

都営三田線新高島平駅へ。

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 高島平団地の中を南下します。

典型的な「団地」、かつては日本全国に見られた風景ですが、少なくなりました。

また、急速な少子高齢化が問題となっているこのような団地ですが、高島平はどうでしょうか?

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首都高速5号線にぶつかりました。

「高島大門」という意味深な交差点の名前です。

このあたりを通っていた鎌倉街道に関係があるのでしょうか?木戸のようなものがあったとか。

交差点の向こう側は台地になっていて、右手には赤塚城、左手に沖山の塁がありました。

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沖山の塁は広大な赤塚公園の一角にあります。

高島大門の交差点のすぐ横から台地を登ります。

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細長い平場に出ました。腰曲輪でしょうか?

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さらに登ると、広場に出ました。

ここが主郭だったようです。

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ここは、沖山遺跡という弥生時代の環濠集落の跡でもあります。

もっとも、世間的には城跡としての「沖山の塁」というよりは、弥生遺跡としての「沖山遺跡」の方が名が通っているようですが。。。

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謎のモニュメント。

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城跡の東側へ。遊歩道に沿って歩いていきます。

地形の凸凹が腰曲輪のように見えたり、堀に見えたりしますが、意識が過剰すぎますかね?

台地の中腹に横堀が巡っていたとのことですが、藪に阻まれてよくわかりません。

こういう場所は夏に来てはいけませんね。

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東側の道路を挟んだところにある、堀跡のような地形です。

人工物のようにみえますが、入り組んだ台地の地形がそう見せているだけのような気もします。

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台地の下にある水がたまったところ。縁に沿って長く続いています。

横堀の跡と錯覚しそうになりますが、低湿地帯だった時代の名残でしょう。

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再び団地の中を抜けて、駅に戻ります。

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りゅうがさき 【駅名しりとり263】

竜ヶ崎 (関東鉄道

 

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JR常磐線佐貫駅が2020年3月14日のダイヤ改正を持って、竜ヶ崎市駅に改名されました。

結果、竜ヶ崎市の中心部に行くためには、JR竜ヶ崎市駅で下車した後、関東鉄道佐貫駅へ乗り換えて竜ヶ崎駅まで行く、というややこしい状況になってしまいました。

外部へアピールするためにJRの駅名に市名をつけたい、という気持ちは理解しますが、わかりにくくなってしまっては元も子もありません。

 

市街地の中心部を鉄道が避けてしまった町では、大なり小なり同じような問題があります。何がよいのか、結局はケースバイエースになるとは思いますが、利用客のわかりやすさや利便性を優先して判断していただきたいと切に願います。

 

 

 

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象潟に寄り道して、羽越本線を南下する。

8月10日の話、つづきです。

 

羽後本荘駅に戻ってきた後のことはほぼノープランでした。

最終の「いなほ」に乗ればよいので、4時間ほど猶予があります。もちろん、早い特急に乗って帰ってもOK。

松山城、鶴ヶ岡城、村上城新発田城など城跡に寄るのが第一候補ですが、炎天下の中を歩き回るのはキツいです。

山居倉庫、致道博物館などベタな観光地に行くことも考えましたが、駅から結構離れていますし、今からアクセスを調べるのもおっくうです。

 

 

というわけで、象潟駅に降り立ちました。13:19着です。

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象潟といえば、「奥の細道」。学校でも習う古典の傑作ですが、残念ながら私には素養がありません。

それならなぜ象潟に降りたんだ、と言われてしまいそうですが、ま、それはそれとして、まずは駅の地図で見つけた塩越城跡なるところに行ってみることにしました。

 

住宅街の中を抜けて10分ほど。看板を見つけました。

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背後の高台が本丸跡のようです。現在は畑になっていて、周囲には土塁も残っているとのことですが、登ることができる道が見つかりません。ちょっとだけでも見たいと思ったのですが…

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国道に出て北へ。奥の細道」をアピールする看板を尻目に歩くこと15分ほど。「ねむの丘」というドライブスルーが目的地です。

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まずは最上階の展望台に登ります。

 

1804年の地震で地面が隆起したため、松尾芭蕉が見た「東の松島 西の象潟」と並び称されるほどの名勝を今は見ることができません。

潟湖の跡は水田になりましたが、点在していた小島は今も残っているため、往時をしのぶことはできます。

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ここには、公衆浴場が併設されています。そしてお風呂に入ることがここに来た目的。

30分ほどゆっくりと湯船につかり、休憩所で一息入れたら少し元気になってきました。

 

 

というわけで、駅に戻る途中、蚶満寺に寄り道。松尾芭蕉も訪れたという名刹は、観光客の姿もなくとても静かでした。

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境内から、水田の中に点在する島々を見ます。

 

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象潟駅に戻って、16:29発の列車で酒田へ。

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17:22発の新津行に乗り換えます。

村上のデットセクションがあるため、この辺りの普通列車は架線下DCの宝庫です。待っていたのは新鋭GV-E400系でした。

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鶴岡で下車しました。なぜ鶴岡まで来たかというと、酒田から乗るより特急料金が少し安いから。ここで夕食を調達する予定でしたが、駅前にNewDays以外お店が見当たりません。これは誤算でした。

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1

8:23発のいなほ14号に乗車します。

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日本海沿いを進む列車を夕焼けが包みます。

実は、府屋で夕日を眺めるというのも選択肢のひとつにありましが、府屋で3時間もなにすればいいねん、ということで却下したという経緯があります。

でも、こんなきれいな夕焼けが望めるのであれば、それでもよかったかもしれません。

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一人旅は、「寂しさも楽しむもの」ですから。

 

 

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由利高原鉄道

8月10日は、弘前6:25発の快速秋田行きでスタートしました。

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8:43に秋田駅に到着。

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終焉が近い男鹿線のキハ40系は4両編成で到着しました。朝の輸送力列車です。 

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9:13発の羽越本線に乗り継ぎました。

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9:55、羽後本荘着。

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羽後本荘駅は橋上駅舎建設工事中。ホームが狭くなっていたり、列車の停止位置がヘンなところになっていたり、かなり不便です。

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駅舎も仮のものです。

 

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新駅舎ができるのは2021年春とのことですので、あと半年ほどの辛抱です。

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10:43発の由利高原鉄道に乗車します。

窓口で矢島までの往復切符を所望したところ、1日乗車券を薦められました。

矢島までの片道乗車券610円よりも安い550円という値段にびっくり。

土日祝日限定とはいえ、太っ腹すぎやしませんかね。

 

停車していたのは、YR-2001おもちゃ列車「なかよしこよし」号です。

塗装がチキンラーメンっぽいです。

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内装はこんな感じ。木を多用しており、中央部には子供の遊びスペースが設けられています。

その分、座席数は少なめで、観光用としてはともかく、日常利用を前提とすると少々使いにくいかもしれません。

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この列車にはアテンダントが乗車しており、沿線の観光情報などを丁寧に案内してくれます。

時節柄、乗客の数が少ない(10人ほど)のは気の毒ですが。

 

 

沿線はのどかな田園地帯。青々とした稲がとても美しいです。

巨大な工場はTDKTDKで最大規模の工場であり、町の誇りだ、とアテンダントの方が説明していました。

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前郷でタブレット交換をします。全国で見られたタブレットですが、現在は由利高原鉄道くま川鉄道のみになってしまったとのことです。

写真撮影タイム、ということで、受け渡しの瞬間静止してくれました。乗務員の方はよくわかっていらっしゃる。

でも、停車時間が短く「早く車内に戻ってください」とせかされるように車内へ。せっかくのイベントなので、もう少し停車時間に余裕を持たせてもよいと思いますが。

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先日の豪雨で増水した子吉川を左手に見ながら列車は進みます。

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終点矢島に到着。

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折り返し、11:55発に乗車、12:36に羽後本荘に到着しました。

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訪城記 ~弘前城~ 【2020.08.09】

せっかく弘前城に行ったので、もう少し写真を載せておきましょう。

 

弘前城は、本丸石垣の修理工事の真最中。

2021年度には天守が元の位置に戻ることを考えると、私のつたない写真もそれなりに貴重なものになるかもしれません。

 

 

下乗橋からの撮影スポットも今はこんな感じ。

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本丸内から見た天守台。

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本丸内に曳家された天守は、何だか間抜けです。

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天守の中に入ってみましょう。

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内部は、鉄骨により頑丈に補強されています。

そして、現存天守にもかかわらず、土足OKです。

全面にマットが敷かれているとはいえ、靴底で傷がついてしまいそうで不安になります。

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いつもは、本丸から岩木山と夕陽を見るのですが、この日の天気は安定せず、岩木山も望めません。

とは言っても、夏場は17:00までらしいので、ここで夕陽を見ることはできないのですが、ね。

(桜の季節は夜まで解放しているみたいです。)

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弘前城はいつ来ても気持ちの良い城跡です。

積雪を考慮して初重が高くなっている独特な櫓門。

 

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現存する三重櫓も貴重です。

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本丸の北側、護国神社のある四の丸は、三の丸から1段下がったところにあります。

一方、追手門の南側、禅林街のある方は台地がずっと続いています。

また、城の西側も本丸の背後から大きく落ち込んでいます。

これまであまり意識しませんでしたが、弘前城は台地の北西隅につくられたってことなのですね。

追手門からみると平城っぽいですが、地形の高低差をうまく利用した平山城だということがよくわかります。

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天守が元の位置に戻るのは来年度。次回は工事が終わった後。できれば桜が満開の季節に来たいと思います。

その時には、新型コロナウィルスの流行も収束していますように。

(下の画像は2013年4月30日に撮影したものです)

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