カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~江戸崎城~ 【2024.3.16】

前日飲み会だったため目覚ましをかけずに寝たのですが、朝早く目が覚めてしまったのでお出かけすることにしました。

 

松戸8:31発の電車に乗り、我孫子、成田と乗り継いで、下総神崎駅に降り立ちました。

 

10:30発の桜東バスに乗り換えます。

翌3月17日は、酒蔵まつりでバスが運休するとのこと。危ないところでした。

 

バスに揺られること約40分。旧江戸崎町の中心部に近い浜町というバス停で下車しました。

 

 

乗り換えのバスまで1時間半ほどあるので、その間に江戸崎城跡を散策します。

 

江戸崎城は、稲敷台地の南端、舌状に張り出した台地につくられ、麓に水堀を巡らした連郭式の城でした。現在、水堀はすべて埋められてしまっていますが、ところどころに遺構が認められます。
戦国時代は美濃の守護土岐氏の一族、土岐原氏の支配下にあったものの、小田原の役の年に佐竹氏の攻撃を受け落城。
その後、江戸崎城には佐竹義重の次男芦名盛重が入ります。現在の町割りはこの時に整えられたようです。
江戸時代に入るとこのあたりは天領となり、江戸崎城も廃城になった由。


まず向かったのは瑞祥院。臨済宗妙心寺派の寺院で、創建は南北朝時代の1352年と伝わります。

 

本堂背後の山は羅漢山と呼ばれています。尾根状になっており、いかにも城跡っぽい地形ですが、後世の改変が著しい中、どこまで旧状を残しているのかよくわかりません。

 

尾根の先端部には金比羅堂。物見櫓のようにも見えます。

 

 

南側の鹿島神社は二の丸跡です。

 

北側に巨大な土塁が残っています。


二の丸の南半分は江戸崎小学校の校庭になっています。

 

江戸崎小学校。二の丸があった台地を造成してつくられました。

校舎より高い校庭がかすかな名残です。

 

 

そして、最後に本丸へ。

かつての堀底が道路になっています。

 

本丸の南側の曲輪です。

縄張図によっては二の丸と記載されているものもありますが、台地の先端部を守る笹曲輪とでも呼ぶべき曲輪かと思います。

 

本丸は方100mほどでしょうか。

中央には畑があってなんとなく私有地っぽい雰囲気。北側には土塁が残っているようですが、深入りはしないようにしました。

 

そして、片隅には城山稲荷がありました。

朽ちてなくなってしまいそうな小さな祠ですが、由来を見ると意外に歴史があるみたい。

 

 

かつては山麓部を水堀が囲んでいたようですが、すべて埋められているほか、各曲輪も遺構の大部分は消滅しています。

点在する遺構は多くはなく、ゆっくりめぐっても1時間ほど。

次のバスまで時間がありますが、早めにバス停に向かうことにしました。

 

 

 

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