今年の春は駆け足でやってきました。
寒さが緩んだ2月後半以降、寒の戻りは少なかったように思います。
3月21日、春らしいあたたかな空気に包まれる国府台駅におりたちました。
松戸街道を北上。
目の前の段丘が国府台です。
台地の上には、和洋女子大学、千葉商科大学、日本医科歯科大学、県立国府台高校などが立ち並ぶ文教地区です。
そして、終戦までは陸軍の施設がありました。
その名残は少ないですが、今もこの地域に点在しています。街道から里見公園に向かう道のわきには、野戦重砲兵連隊の煉瓦塀が残っていました。
里見公園に到着。この周辺ではよく知られている桜の名所です。
桜は5分咲きくらいでしょうか。それでも園内は花見をする人たちが思い思いに過ごしています。
桜の名所として知られる里見公園ですが、私の目的は国府台城です。
園内を進むと立派な石垣が・・・もちろん当時のものではありません。公園整備の時につくられたものでしょうか。
ただ、土の高まりは土塁の遺構とのこと。
園内には、同じような土塁の名残があります。
しかし、土塁を頭の中でつなげてみても当時の縄張を想像するのは難しいです。
土塁の間は規模の大きな窪地になっていて、堀の跡のように見えますが、これも怪しい。
陸軍時代、さらに公園整備の際に手が入っていることも考慮しなければなりません。
その土塁のいくつかは、古墳の墳丘を利用しているようです。
櫓台のように見える頂部には明戸古墳の石棺が残っていました。
広場は土塁に囲まれていて城跡っぽい雰囲気。
樹々の隙間からは江戸川。河岸段丘という占地がよくわかります。
里見公園は、舌状台地の付け根にあります。城域は公園の敷地外、台地の先端部の方に広がっていたようです。
その北側は畑地と住宅街になっていて、城の面影はありません。
台地の縁にいけば何かあるかと思いましたが、住宅がびっしり。
台地の先端部に来ました。
ここが主郭でしょうか?
陸軍と書かれた境界標を見つけました。軍関係の遺構は改めて見に来ようと思います。
段丘崖に沿って南へ。
松戸街道に戻って、バスで帰りました。
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