カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~谷戸城~ 【2023.11.3】

11月3日は秋晴れの行楽日和でした。

前日に指定券を買いに行ったら、朝一番の特急あずさ71号は満席。

仕方ないので、八王子から座席未指定券で乗車します。

 

大月で下車する人が多く、空席に座ることができました。

 

甲府で乗り換えて、長坂で下車。

特急停車駅は隣駅の小淵沢ですが、北杜市の中心駅ということもあって駅前はこちらの方がにぎやかな感じがします。

 

コミュニティバスに乗り換えて、旧JA大泉支店前で下車しました。

 

 

八ヶ岳の裾野の高原は秋の装い。

緩やかに下っていくと、谷戸城があるポッコリとした小山が見えてきます。

 

谷戸城は、平安時代後期に常陸からうつり、甲斐源氏の祖となった源(逸見)清光の居城と伝わります。

北から南へ緩やかにくだる高原の中に残された流れ山を利用しており、東西南の三方は急峻な崖になっています。

 

唯一地形が緩やかな北側は巨大な堀切で分断されています。

 

城内に入ると、土塁を挟んで、横堀が北面から東面にかけてめぐっています。

縄張図を見ると、この横堀が少し異質な感じがします。天正壬午の乱では北条氏が布陣したとのことなので、その際に改修されたものかもしれません。

 

末端部は竪堀となって斜面を落ちていきます。


横堀の上には四の郭があります。

斜面を低い土塁で囲んでいますが、曲輪内は自然地形そのままで削平は不十分。さらに、先ほどの横堀との間にも緩斜面が残っており、中途半端な印象はぬぐえません。

一説には、造営途中で放棄されたともいわれますが、確かに、未完成だと考えると腑に落ちる気がします。

 

五の郭。東側に張り出しており、何かしらの建物があったようです。

 

五の郭から続く腰曲輪です。

通路として使用されており、四の郭側の土塁は人の動きを城外から隠すためにつくられたものとのこと。

 

二の郭への虎口。

 

山の頂上部には、一の郭とそれを囲む二の郭、三の郭があります。

そして、この城の最も特徴的なのが、二の郭と三の郭。

土塁の内側に堀が掘られているのがとても珍しい。吉野ケ里遺跡や横浜の大塚遺跡のような弥生時代の遺跡では見たことがありますが、中世城郭ではあまり見ない構造です。

土塁を手っ取り早くかさ上げするために掘ったという説があるようですが、だとしても戦闘時には不便だと思います。

 

二の郭側東面の土塁、堀が大掛かりで、城内で最も巨大なもの。

 

一方で、三の郭は土塁、堀とも控えめです。

 

一の郭へ向かおうとしたところで、北杜市防災無線が流れました。

曰く「市内でツキノワグマの目撃情報があり、遭遇しないよう注意しろ」とのこと。

人里の真ん中にあって、周囲の森とは切り離されたところに熊が来る可能性は少ないですが、今年は全国的に熊害のニュースが多いですし、単独行なので何かあった時には屍すら発見されない可能性があります。

気休めかもしれませんが、スマホの音量を最大にして音楽を流すことにしました。。。

 


三の郭と二の郭の真ん中にある一の郭は、土塁に囲まれた丸い形。

東面の土塁が高くなっているのは二の郭と同様です。


南面の腰曲輪に降りてきました。

 

さらに、搦手へ。竪堀のように見えますが、途中で90度折れており、通路としてつくられたもののようです。

 

搦手口。

 

城山の下、西衣川が作る谷との間には六の郭がありました。



バスの時間まで30分ほどあるので、北杜市考古資料館へ。
ここには谷戸城の模型もあります。


11:24発のバスに乗車。小淵沢駅まで行きました。

 

 

 

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